悲しかったのだと思います <ラプライプ!スーパースター!! 第12話「Song for All」感想>

まず思ったのが、感想を文章に起こすのが難しいなと。時間が経てば整理されるかと期待したんですけど、どうにもダメなようです。ボチボチ書いては消しを繰り返していた文章は完全に行き先を見失い、筆が止まったままになっていました。

でも、まがりなりにも各話の感想らしきものを書いてきたのに、最後が何もなしというのは収まりがつかないのですよね。残念ですがうまくまとめるのは叶いそうにないので、本当に書きたいことだけ吐き出して、本エピソードの感想に代えたいと思います

否定してほしくない

述べたいのはただ 1 点です。

かのん
何もお返しできなかった
みんなが協力してくれたのに
何も返せずおしまいになっちゃった

アイドルとファンとのやり取りは双方向でも、その形は非対称です。アイドルは主にステージ上のパフォーマンスを通してファンにおもいを届ける。ファンはそれを応援することでおもいを返す。

今、ライブが終わりました。ここでの「おもい」の送り手は Liella! の 5 人。受け手は同校の生徒や家族を含めた聴衆全てでしょうが、かのんちゃんのこのセリフでは特に結ヶ丘の同級生を指しているようですね。彼女は何も返せなかったと悔やむのですけれど……同級生たちは本当に「何も」受け取れなかったのでしょうか。

そのために応援・サポートをしているのですから、勝利はもちろん欲するところでしょう。それが叶わなかった。確かに目的は達してない、果たしてもらえてないと言えます。

でもそれで全てだとも思いません。自分たちの "推し" が一生懸命頑張る姿。練習を重ね、本番では素晴らしいパフォーマンスを仕上げる様子。そういった結果に至ろうとする過程を通してだって、きっと感じたモノがあったはずです。だからナナミちゃんたちは「ありがとう」「感動した」と伝えたはずなのです。

そこを「何もお返しできなかった」と切り捨ててしまうのは嫌だなと。

ええ、わかっていますよ。かのんちゃんの意図は、現状では不十分・満足できない、ということなのでしょう。今まではただ歌えてさえいればそれで満足していたけれど、そこから一歩前へ進んだと。さらに欲しくなったモノにフォーカスを当てた、上昇志向のセリフと読むべきです。なのに言葉尻を捉えて、ことさら否定的な面に拘泥するのは私の身勝手な感想でしかない――そう考えたから、なんとか違う方向で感想をまとめようとしてたんですけどね。

私はアニメの一視聴者であると同時に、三次元で展開する「スクールアイドル」のファンでもあります。そしてアニメは三次元とパラレルの関係にある。だからこの劇中のファンに向けられたセリフは、同時に私に向けても発せられているのだと、どうしてもそう考えてしまうのです。

その中で、「何も」という全否定を表すコトバはあまりにも、あまりにも強く響きすぎました。*1

歌を、ライブを、アニメを、他の媒体などを、またはキャストや制作陣の活動を見て聞いて知って、感じるものがあります。思うことや、考えることがあります。それはメッセージの送り手側が意図していたモノかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

野球ボールのような、形ある物を投げあっているわけではないのだから、送り手が伝えようとした「おもい」は、受け手である私にそのままの形で届くとは限りません。少し違ったモノとして受け取ることもあるでしょう。感じ方は人それぞれであることを考えると、むしろ意図していた形と違っている場合がほとんどなのかもしれません。*2 そして送り手が "投げかけていないもの" を、私が勝手に受け取ることだってあります。

それでも、どんな形であったって、一度受け取ったからには私の物です。小さくても、たとえ送り手の意図でなくても、素敵なものをいただいたなら大事にしたい。食べたものが身体を作るのと同じように、見て聞いて感じたものが私のこころを作り上げてくれるのです。つまり、受け取ったものはもう私の一部になっているのですから。

東京大会が残念な結果に終わったのが "私" たちのためにも悔しいと、かのんちゃんがそう言ってくれのは嬉しい。とても嬉しいのです。

でもね。Starlight Prologue のステージを見た "私" は何かを受け取ったんだよ。だから感謝の言葉と称賛を伝えたはずなんだ。不十分なのかもしれないけど、でも、もらってるモノは確かにあるんだよ。それは私が大切にしたいモノ。「何も」なんて言って否定してほしくないな。

最後のシーンを見ていて、勝手な感情ながら、私は裏切られた気分になったのかもしれません。自分を否定されたように感じて、それが悲しかったのかな。多少なりとも落ち着いた今、そんなふうに思います。

*1:リアルの会話中にポロッと口からこぼれたものなら、言葉のあやとして受け取り、こんなにこだわることもないのです。でもこれって脚本のある作り物なんですよね……。

*2:時には受け取れないこともありますね。