そこにあった世界 <ラプライプ!スーパースター!! 第11話「あの場所で、もう一度」感想>

最終回前に、この話ですか。

自信を取り戻す

少女が、幼い頃に置いてきた自分を取り戻し、前に進むための物語。

歌えなくなった少女は、なにも歌の全てを無くしたわけではありませんでした。変わらず歌が大好きで、歌うことを楽しみます。でもそれを表に出す場所は持たない。持てなかったんですよね。楽しい気持ちを世界中に伝えたいと思う少女に、彼女の世界は決してその機会だけを与えようとしなかった。最初に訪れたのは単純な恐怖でしょうが、そのうちには失望とか、虚しさとか。キビシイですね。

さて、少女はスクールアイドルを始めたことで、歌えるようになりました。でもそれだけでは不十分なことに気づきます。不安が残っていては、これから先歩いていくのに心もとない。また支えられている状態では、やりたかった誰かを支えることだって、できないままです。

一人で立たなくては。

それにはあの頃の自分に向き合う必要があります。一歩目のつまづきがずっと尾を引いていたのですから、そのままにしておいてはダメ。その失敗は正しく消化してあげないといけません。

「それ」以前はできると信じていた少女。大きな舞台を前にして初めて湧いた感情があったようですが、まあ困惑しますよね。怖い。でも友だちを引っ張り、「怖くない」と発破をかけている手前もあってか、新しい感情を認められません。無理に押し殺した結果が事件だったのでしょう。そこから彼女の世界は変わってしまった。

今あの頃に立ち戻ってみると、大勢の前に立つ怖さは肯定してやる必要があったのだと気づきます。これは月日が過ぎて、不完全ながらも歌えるようになったからが大きいのでしょう。

歌は楽しいもの。しかし披露する前には不安を感じるのも普通のことです。楽しいものにだって「怖い」が付きまとうことはある。それを見ないふりしてみても、無くなるわけじゃない。潰されるだけでした。感じる不安や恐怖はあるものとした上で、それ以上の楽しさを期待して前へ進む。それが正しい受け止め方だったのでしょう。

怖さ、恐怖、不安などというとネガティブなものにしかなりませんが、別に悪いばかりの感情ではないのですよね。そういったモノがあるおかげで、パフォーマンスが引き締まることもある。タブン、緊張感とかって別の名前に変わるんだと思うんです。

舞台袖には世界地図がかかっていましたね。少女が歌を響かせたいと思っていた世界は、実際はあの時から変わらず、ずっとそこにあったんだろうなあと、そんな事を考えたのでした。

できる者の理論

という感じで物語を理解してはみたものの、どう感想を述べていきましょうね。まずはかのんちゃんから見たお話といきましょうか。

ありあ
なにかと言えば、やればできるとか、頑張れとか

コンクール前に友達を鼓舞していたのも同じような感じでした。これってできる者のセリフですよね。自分がなんなくやれてしまうから、他の人も同じだと考え、こんな言い方になるんだと思います。妹に熱いウザい言われるのもわかる。笑

別にこの姿勢自体が悪いわけではないのです。特に小さい頃の話ですし、経験が少なければ相手の気持ちを計るのも難しいでしょうから。自身の心構えとしてなら、恐れを知らずまっすぐにぶつかっていけるのは強いですね。

ですが、感覚だけでこなせてしまっていると、ちょっとしたことでバランスが崩しかねないのが怖いんですよね。あれこれ考えて理論を積み上げていってるわけじゃないから、非常に脆い。

かのん
最初からできないなんて、そんなことあるはずないよ

それでうまく行かなくなった時、この言葉は自分に厳しく当たることになります。できない人に対する配慮の欠如が跳ね返ってくる。

……はずなんですが、物語の中ではその描写が落ちていて、非常に残念に思います。始まりの事件から高校入学までは、単純な「いくら頑張ってもできなかった」だけのお話じゃなかったはず。前提に、なんだってできると信じている子だった、が付いているから、物語にはずっと厚みが増してたのに。

元から持っていた信念「やればできる」と、できない自分との折り合いの付け方。可可と知り合い歌えるようになって、精神論だけじゃない何を見つけた*1 のか。それで元の信念はどう影響を受けたのか。見たいものはたくさんあるんですよ。なのに全部あっさり切り捨ててしまっていて、ふわっとまとめただけですか。

至るまでの過程が見えないので、最終的に何を得たのかもおぼろげです。いつの間にか昔の自分を忘れてしまっていて、そしてなんとなく思い出しただけに思えてしまいます。結局「やればできる」に戻ってきちゃったのかな?と。

自信を取り戻したのは good for you だけれど、成長が感じられないなあ、というのが率直な感想でした。もったいない。

一人で、とは

そして今回は(も?)ちぃちゃんのムーブに納得がいってなくてですね。

一人でステージに立ったとき自信が持てるかは、かのんちゃんの問題です。Liella! がグループとしてやっていけている現状で、(兆しが見えただけで)まだ顕在してもいない個人の問題に、他人が勝手に手を出していいものなんでしょうか。

そりゃあ、隣で見ていたら幼馴染の不安は手にとるようにわかるでしょうし、心配にもなります。このままじゃいけないと考えるのだって構わない。でも千砂都さん、それはあなたの考えですよね。押し付けは良くないです。

こうした方がいいんじゃないかと相談・提案するなら、他の 3 人ではなく*2 本人にが筋じゃないのかな。当事者の意思も確認せずに物事を進めるなんて論外でしょう。

千砂都
私は、嵐千砂都は信じてる。澁谷かのんを

信じていると主張するなら、その前段階からでお願いします。かのんちゃんが「自らの問題を把握し、それに向き合い、克服しようと決意すること」を、まずは信じましょうよ。否応なしに課題に直面させて、乗り越えざるを得なくするだなんて、信じていないにも程があります*3

子供は課題の把握に乏しいため、周りの大人が場を整えてやることがありますが、それと一緒なんですよね。お膳立てしてもらった課題を解いて、それで「一人でやり遂げた」と言えるのかどうか。私は今回の話運びには否を突きつけたいです。

第3話再評価

あと個人的に残念だったのが、第 3 話の評価が変わったことです。「歌える。一人じゃないから」は、やっぱり「一緒に歌う仲間がいるから」でしたか……。

「一人じゃない」は、自分以外が誰を指すのかわからない曖昧な表現でした。Twitter やブログで他の方の感想も見ましたが、隣に立つ可可だと解釈しているものと、応援してくれる客席のみんなだと捉えているものと、二つに分かれていたように思います。私は後者でした。

が、どっちとも取れるままでいいと考えていたんです。想像の幅が広がる、良い曖昧さだと思ってたんですけどねえ。公式が答えを出しちゃいましたね。

ただ、そっちが正解だったとすると、腑に落ちない点が出てくるんです。

まず、他に演者がいたら歌えるのなら、今までの合唱はなんだったというのでしょう。合唱とは複数人で歌うことを指します。一緒に歌う仲間は今までもそこにいたはずなんですよね。*4 なぜそれがダメで、代々木フェスのステージ(以降)は大丈夫なのか。「一人じゃないから」だけでは何の回答にもなっていません。

あと、彼女の意識が変わるタイミングですね。当たり前ですが、可可が隣に立つことは最初からわかっていたことです。だけどステージに立っても最初は無理でしたよね。後から「行ける」となるには、そのきっかけとなるものが必要です。該当しうるイベントといえば、停電と、客席からのライトや声援。しかし、それらでは仲間がいてくれる事実には結びつかないんですよ。せいぜい考えられるのが、光の海の素晴らしさを可可と共有したくらいですが……。どうでしょう、私は根拠にするには弱いと思います。光が降る光景は、かのんちゃんが今まで客席に見てきたものと全く違っていたわけで、むしろ応援してくれる存在の方を強く意識すると思うんですけれども。

以上、合唱との差異がなくなり、スクールアイドルを選んだ理由が不明になってしまったこと、意識がなぜ「歌える」ほうにスイッチしたのか不明瞭で、カタルシスが得られなくなったこと。この 2 点で、第 3 話の評価が落ちてしまいました。残念です。

最後にもう一つ。本エピソードはかのんちゃんの問題を扱っていました。彼女が一人で克服する物語です。

一人で歌えるようになる。この命題はグループで活動する Liella! に直接は関わってきません。*5 個人の成長は、そりゃあ全体にも影響するでしょうが、劇中でグループとしての欠陥が出ていなかった(描写しなかった)以上、この話の前後で Liella! には何の変化も見えないんですよね。伸びたのはかのんちゃん個人だけです。

また今回の導入はスクールアイドルのパフォーマンスをぜひ母校でという話でしたが、結果的に披露したのががのんちゃんの独唱だけだと、スクールアイドル活動とは言いづらいと思います。ソロ活動をしない彼女が単独で、衣装もなし、ダンスもなしでは、アイドルからは外れるでしょう。

そして、独力で解決する必要があったため、他のメンバーも今回は関係ありませんよね。劇中では問題提起部分に関わっていましたが、そこは本質ではありませんでした。むしろ余計な手出しです。

となると、今回は本当に、完全に、一から十までかのんの個人的なお話です。Liella! でもなければ、スクールアイドルでもない。他のメンバーとも絡まないから、エピソードが浮いてしまってます。第 3 話の続きにはあっても、ラブライブ!の中ではどこにも繋がっていきそうにないお話なんですよね。

ここから先に伸びるのは「かのんちゃんの Liella! 後」でしょう。高校を出て、さらに歌の道へ進んでいくときに効いてくる話(の作り方)でした。本筋の真ん中に放り込む意味ってあったんでしょうか。外伝とかでやる話じゃないのかなあ。

まさか「ラブライブ要素は?」を公式の中に見ることになるとは思わなかったのですよ。

*1:条件付きながら、ずっとできなかったモノができるようになったのですから、そこには精神論以外の何かがあったはず。

*2:かのんちゃん本人が話していない過去を勝手にバラしたことでも、今回のちぃちゃんは NG なんですよねえ。擁護できません。

*3:第 1 話では、歌を辞めると言ったかのんちゃんに、ちぃちゃんは良いも悪いも言わないんですよね。「私はかのんちゃんの歌、聞いてたいけどな」と、自分の希望だけを述べるにとどめた、あの嵐千砂都はどこ行ったの。

*4:劇中にあったコンクールからして、かのんちゃん一人が別で立つようなおかしな設定ではありましたが。あれは何なんだろ。

*5:独唱課題は今回のために取ってつけただけでしょう。Liella! の今後に関わってくる話の創りだったなら納得だったのですが。