顔の向き <リンクラ第8話感想>

蓮ノ空は先日「DEEPNESS」のリリックビデオが公開されましたね。6 月度のバーチャルライブも素敵でしたが、こちらもとてもカッコよく仕上がっていて、流れる歌詞を噛み締めながら何度も聞く毎日です。梢さんの「I’m OK.」に込めるおもいがなんとも言えなくて好きだなあ。

これに関連して、なんとなく気になってて言語化したいなあと思っていたのが再燃したため、リンクラ第 8 話を感想を上げてみることにします。

下級生の奮闘やふたりの気持ちが重なる流れなどは「素晴らしい」の一言で済ませてしまっていいので(乱暴)、部分的に取り上げるだけとなりますが、よろしければお付き合いください。

顔向け

もう同じステージには上らないと決めていた梢と綴理でしたが、下級生に四人で立つことを提案され、どうしたものかと相談するところから第 8 話は始まっていました。

……あの時の、曲。〝あの時の曲〟を、もう一度私が頑張れたら……。あなたにも、顔向けできるかしら。
綴理
顔向け? 顔なんて、そんなのいつもこっち向いててほしいけど。でも、あの曲は……。
ちゃんと……次こそ、ちゃんとした振りで。

ふたりの過去になにか行き違いがあったらしいことはわかっています。その直接の原因が、とある楽曲にあるらしいと知れるシーンですね。

スマホアプリ「Link! Like! ラブライブ!」活動記録 第8話 PART 1 より

わだかまりを解消するためには乗り越えなきゃいけない壁だし、(メタ読みをすると)タイトルさえも明かされてないこの曲が 撫子祭ライブ の目玉になることは明白です。物語がクライマックスに向かう大事なポイントの一つなのですが――。

綴理のちょっとトボけた感じが挟んでありますね。ここがなんだか好きなんです。

梢の「顔向けできる」はもちろん慣用表現です。「面目が保てる」といったような意味で使っていますが、おそらく綴理は字面通りに解釈していますね。だから「いつもこっち向いててほしい」などという、少しばかりズレた答えが返ってきます。

この噛み合わなさが笑いを誘うのかな。でも物語の進行を阻害するほどの脱線はなく、なめらかにお話は続いていくんですよねえ。

リンクラのストーリーは、こういったちょっとした笑いがところどころに入っていて楽しませてくれます。またその差し込む塩梅も絶妙ですよね。

主軸となる話だけが切れ間なくずうっと続いていくと、見てる(読んでる)方は息が詰まって疲れてしまいます。8 話のような重めの話題のときは特に。そこにクスッと笑える箇所があると一息つけます。メリハリがうまく効いてるなあと。

本筋とは繋がらない笑いのくせに馴染む形で盛り込まれていて、その様子が落語の「クスグリ」に似ているなとも思いますけれど、ここではその話は置いておきましょう。

ズレ

綴理の受け答えですが、ただの笑いにとどまらず、ストーリーの中ではたらくものがあるように思うんです。この一点を以てどうというよりは要素のうちの一つくらいの意味で。

先に述べたとおり、綴理は梢の発言を語が表すままに捉えているようです。顔向けできる/できないを、物理的に顔がそちらを向く/向かないことだと理解してそうですよね。

これには「いや、そうじゃなくて!」と反射的にツッコミたくなります?

スマホアプリ「Link! Like! ラブライブ!」活動記録 第8話 PART 1 より

でもちょっと待ってください。

綴理の感性が〝我々〟と少し違っている(ここではあえてこういう言い方をさせてください)のはこれまで存分に示されてきました。言葉遣いに顕著に現れていて、よく独特な表現をしています。

おかげで、花帆がはてなマークを盛大に頭に浮かべる様子を確認できますし、さやかは無条件に取り入れた上で理解に努めるも、解釈には常に頭を悩ませているようです。梢は……言わんとする事をある程度汲み取った上で、半ば諦めてもいる(いた)のかな。綴理の感性に関して完全な理解は不可能だと。

理解困難なコトガラは目立つため、〝我々〟は綴理が発信するモノばかりに目が行きがちです。しかし、その困難さが彼女特有の感性に起因するというなら、逆の場合、彼女が受ける側でも意思疎通の壁はあるはずですよね。

その具体例のひとつが「顔向け」の話なのでしょう。

言ったことが微妙に伝わってない感って、なんだか持て余します。

今回の話では、明らかにニュアンスが違って受け取られています。ただ、完全に間違っているわけでもない。人は自信がなかったり後ろめたいことがあったりするから顔を背け目をそらすわけで、ここで比喩的に使われてはいても、梢の言葉は身体部位としての顔が向く/向かないと通じるところがありますから。

大まかなところで伝わっているとなると、話の腰を折ってまで指摘するようなことでもないって思いますよねえ。しばしば起きるのなら、なおのこと。実際、梢はまったく触れずに話を続けていましたが……?

立場を逆にした場合もちょっと考えてみましょう。

綴理が何かを言うと、しばしば(綴理から見て)微妙な反応が返ってきます。伝わってるような伝わってないような何とも言えない感じの反応が。

そのとき彼女がどうするかですが、やっぱり流してるんじゃないかと思うんです。そこで梢が綴理にしていたように、大意がわかってもらえてそうならいいかと。些末な枝葉だからいいかと。だって、彼女が訂正や追加の説明を入れている場面なんてほとんど見たことありませんものね。

綴理の言語

行きでも帰りでも、どちらにしても綴理には伝わり切らない場合があって、でもそんなもので良いかで済ませ・済まされている現状がありそうです。どうしてそんなふうになっちゃってるのか。

タブン、同じ日本語を喋っていると思うから、生じる行き違いが不可解に感じられるんじゃないでしょうか。これだけ感性が違うなら、むしろまったく別の言語を使っていると捉えたほうが理解がスムーズにいく思うんです。

ひとつ日本語の英訳で例えす。

アニメなどで見かける「いただきます」の訳には、”Let's dig in”(さあ食べようか)とか、”Looks delicious”(美味しそう)などをよく見かけます。素敵な翻訳ですよね。

しかし、ここには盛大に抜け落ちているナニカがあるように思いませんか。

訳者の意図は理解できます。内容はシチュエーションにバッチリ合致してて問題ない。けど意味が同じなのかと問われれば、うーん……。「いただきます」は確かに食事前の合図ではありますけど、決して「じゃあ食べよっか」とは置き換えられないですよね。

でもしかたがないのです。英語圏には食べる前に挨拶をする文化がないので、どの語句にも対応させられないのですから。その言語体系に無いモノを変換しようとする限界なのだと思います。

綴理の場合も同じこと。

スマホアプリ「Link! Like! ラブライブ!」SR 夕霧綴理「Rose Garden」(特訓前)

彼女が「そらまめ」と言うなら、彼女の中ではそれ以外に表しようがないのでしょう。〝我々〟のコトバにはその語の表す意味がないので、理解したいならなんとか別の表現に翻訳するしかありません。ですが元々無いモノなのですから、どれだけ頑張ってみてもニアピンにしかならない。

ちょっと話がそれますが、たまに綴理が「そうなの?」と逆に聞き返すことさえあるのが興味深いんです。反訳ができないのかなと。「訳語」の意味が少しズレてしまっているために、再対応する「原語」がなかったりするんだろうなあ、などと想像しています。

異なる語彙群で参照しあうのですからズレは不可避です。どうあってもドンピシャで伝わらないなら、適当なところで妥協するしかないんですよね。

しかし、一つ二つならさほど気にならないそれも、積み重なると無視できなくなります。浅くしか理解できないということは、付き合いも浅いままで留まってしまいます。寂しい。

みなが同じ言葉でつながっている中、ひとり違う言語を話す疎外感は少なからずあるのではないかと想像するんですよ。*1

以前、説明が下手なのでなく自分を伝えようとすることが下手だ、と梢から指摘されていました*2 が、別言語で伝えるしんどさは他者がそう簡単にどうこう言えるようなものではなさそうだよなあ……とは、個人的な感想です。*3

だからこそ「いいか」で済まさず、少しでも隙間を埋めようとしだしたのは素晴らしいこと。ドルケ結成周りのさやかとのやりとりや、「やっぱりはっきりさせる」と梢に切り込んでいった今回の件では、「先輩」としての自覚と昨年からの成長が感じられて素敵だなと。

そんなことを「顔向け」の話からぼんやり考えていました。

梢の回想

8 話はもう一つ気に入っているシーンがあります。

花帆との対話の中で自分が本当に求めていたものに梢が気づき綴理の下へと向かう、PART 5 のラストです。綴理としていたやりとりが短いカットで続いて流れます。梢が一年間を思い返している様子ですかね。

スマホアプリ「Link! Like! ラブライブ!」活動記録 第8話 PART 5 より

場面は 3 つあって、自己紹介と、夜通し動画を見ているところ、そして地区大会の後。標準的な演出なのかもしれませんが、これがふたりの関係の変化をよく表しているように思うんです。

最初の自己紹介シーンは、入学してスクールアイドルクラブへ所属した直後ですね。出会ったばかりの梢と綴理は向き合う位置関係にあります。続く自室でのものは、お互いのことが知れて仲良くなった後。ふたりはスクールアイドルの動画を見ていて、向いているのは同じ方向です。最後が諍いのシーンですね。意見の合わないふたりは視線を交わさない状態で描かれています。

梢視点の描写であることを踏まえると、もう少し何かが見えそうです。

出会ったばかりでまだヒトトナリを知れていないときは、綴理は顔が見えない状態で描かれていますが、一緒になってスクールアイドルを追いかける頃には、綴理の顔が見えるようになりました。そして問題の 3 枚目では、それまでずっとこちらを向いていたはずの梢が背を向けているんですよね。経緯が感じられます。

同じ方を見るようになったはずなのに、視線が一致しなくなっている。最後に向きを変えているのは梢です。ふたりが合わなくなった原因が彼女にあることを表すようですね。

さらに、梢の回想なのに自身の顔が見えていないのがまた良くてですね。自分の本心に気づいてなかった彼女を表すのにぴったりな画だと思うのです。

これらは、やっと何かに気付いた梢の、その内省を垣間見させてくれる演出でしょう。

彼女は建前を口にするばかりでガワしか見せてきませんでしたから、ここで初めて本当のウチが見えるんですよね。エピソードが切り替わる合間にちょろっと挟まるだけの短いカットですが、梢に寄り添うことができます。この後に続く綴理と向かい合うシーンに、より感情移入できるように思えませんか。

振り返ってみると

さて前節では、綴理や梢が「どちらを向いているか」が象徴的に扱われていると述べました。その演出を踏まえた上で、最初に挙げた「顔向け」の話に立ち戻らせてください。

あの時の綴理の受け答えってどうでしょう? あながち間違いではないように思えてきませんか。

綴理
顔向け? 顔なんて、そんなのいつもこっち向いててほしいけど。

何かを抱えていそうでも「大丈夫」としか言わなかった*4 梢。綴理はそんな彼女に不信感を抱いていたわけですよね。

口に出さずとも、折につけては本音を知りたい〝気持ち〟 を聞かせてほしいと願っていた。そんな綴理が「こっち向いててほしい」と言うのです。顔の見え具合で心の有り様を表す演出を見た今、ズレているどころか、彼女の心からのコトバに聞こえませんか。

ここはまた、「顔なんて、そんなの」とバッサリ切り捨てるように言うところがいかにも綴理らしくて良い! 非情にストレートですよね。梢が、部の状況や自らの立場など考慮すべき(と思い込んでいた)事柄を多数抱え込んでいたために、自分を見失っていたのとは対照的です。

そういった体裁とかは二の次で構わない。何よりもまずボクに、ひいてはこず自身に向き合ってほしい。そんな綴理の声がオーバーラップして聞こえてくるように思えたのです。

かすがい

と、以上が第 8 話の感想になりますが、ついでなので蛇足でもう一つ。

スマホアプリ「Link! Like! ラブライブ!」活動記録 第8話 PART 6 より

梢はやってきた一年生を「かすがい」と呼んでいましたよね。かすがい(鎹)とはふたつの木材を繋ぐための「コ」の字型をした釘のようなものです。綴理との仲を取り持ってくれたのを、その継ぎ手の役割に見立てているわけですね。

かすがいかあ。日常生活では馴染みがないですよね。私は実物を見たことがなく、「子はかすがい」ということわざでしか耳にもしたことがありません。だから即座にことわざが思い浮かびました。

まったく同じ意味で使われていますから連想は正しいのですが……。

この言い回しだと、花帆さんは梢さんの「子」ってことになります???

花宮さん(梢の CV)が、楡井さん(花帆)を「産んだ」だの「娘」だのとネタにしていることはご存知でしょうか。*5

この脚本、狙ってヤッてますよねえ。思わず「こっちでも産んでるじゃないの!!」とツッコミを入れてしまいましたよ。笑

ただ、まあ、中の人ネタはハイコンテキストになりがちですし、異物感だって否めません。

綴理
かす……?
そこで区切らないでほしいのだけれど。

ここでは綴理のハズシを加えることでうまく世界に溶け込ませてあって、その馴染み具合まで含めて私は大笑いさせてもらったんですけど、このネタってどれくらい受け入れられているんでしょう。

そんなどうでもいいことがちょっと気になった第 8 話でした。

*1:一人で完結するのでは不十分で、「だれかと一緒に」スクールアイドルになりたいと。ずっとこだわっていた綴理の背景に深く関わりそうな要素だと思います。

*2:第 4 話「わたしのスクールアイドル」PART 2

*3:「分かってもらいたい」欲が綴理にもある前提での会話でしたから、梢さんを責めるつもりはありません。結果からみても必要な言葉でした。加えて言うなら、あの発言は梢の後悔を含んでもいましたしね。

*4:第 7 話、大倉庫で一年生に向かうシーンでは「私たちは大丈夫」と綴理も含んだ形で言っていました。隣で聞いていた綴理がどう思ったのかは非常に興味深いところです。

*5:楡井さんがあまりにも愛らしくて、自分の娘のように思えてくるそうですよ。ええ、気持ちはとてもよくわかります。(←?)