Unit は unity(結束、調和)の派生語 <ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2期 第3話「sing! song! smile!」感想>

前回の答え合わせみたいなものだし、ちゃちゃっと書いちゃおうと思ってたんですが……無理でした。

グループに一番の贔屓と二番贔屓の娘がいて、どうやら私はエマちゃんが活躍するタイプの話が好きなようで、そして家族の描写(特に親御さん目線の)が好物となればどうなるか。今回の感想の長さが答えなようです?*1 これでもかなり削ってるんだけどなぁ。

前にもこんな事あった?

合同ライブではユニットを組むということで話が決まり、具体的に何をするか 4 人が相談しているところからお話は始まっていました。しかしそれぞれが別のことを主張するばかりで、一向にまとまる様子がありません。

アニメ「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2 期」第 3 話より
彼方
このやり取り、前もみんなでした気がするよ~

個々の主張が強いのが虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会です。ちょっと話し合ったくらいで一つにまとまるなら、最初からソロ主体では活動していないでしょう。それが元で旧同好会は分裂しかかってたんですしね。ただその経緯があるから、ちゃんとお互いを尊重し合うようになったのはいいところです。執拗に自分を押し付けようとしないし、相手を強く否定することもありませんでした。

ところで、彼女たちは前のフェスで一度演れたのを受けてまた一緒にやってみようと思い立ったようですが、今回はその「夢がここから始まるよ」とは少し事情が違います。それがまとまりを難しくしている一因なのかな。

「夢ここ」とは出発点が違いますね。あの時はメンバー皆んなが最初から共通して持っているものがありました。(侑ちゃんを始めとする)ファンに返したいおもい。9 人を束ねるためのコアになる部分は端からあったんです。それを表現するために、皆んなで一つの曲という形をとっていたんでしたね。

今回嵐珠に示したいのは同好会の有意性です。これこれこうだから、こういう面があるから同好会のやり方には意味があるんだよ、と言いたい。しかしその理由になる部分がまだ出せていません。

芯となる部分を欠いていればまとまれないのは道理で、具体的なライブ演出の話から入っていっても埒が明きません。もどかしいですね。

そうですね、今回取り入れるべきなのはまず「つながり」でしょう。これは外せません。観客・ファンとのつながりがあるからできること、仲間と支え合えるから見つけられるもの、例えばそういったものを示せなければ嵐珠に見せる意味がありません。

それに加えて、各々が強みとしていていつもステージに取り入れていること、つまり自分自身のやりたいことを崩せない縛りも入りますよね。(もとより誰も崩すつもりがないかもしれませんが。笑)嵐珠は自分なりのやり方を曲げたくないと言っています。その彼女を誘うのですから、個々の良さを曲げる形で張り子を作り上げても、そこには説得力がありません。

そう考えると、やっぱり 4 人はそれぞれに自分のやりたい事を主張せざるを得ないわけでして……。話が元に戻ってきてしまいましたね。もどかしい。

万策は尽きてない

やりたい事をどうまとめ上げて「つながり」と結びつけるか。そのあたりが課題なんでしょうか。

ええ、いきなり座礁しかかってますが! やりたい気持ちだけはあるのに、それが全然形になってくれないのではボヤきたくもなりますよね。

物事がうまく行かないとき、焦って視野が狭くなるのはよくあることじゃないかと思います。今やってみた視点ではダメだったのだから、他に目を向けなくちゃいけないのに、それができないから抜け出す方向すら探れないんですよねえ。

で、どうにも進まないのだろうなと思っていたら、救世主が現れましたね。ばらばらに主張しているだけでは何もまとまらないのは確認できたから、じゃあ一つずつ吟味していこうと、璃奈ちゃんはそう言います。

ちゃんと視野を広く保っていられる人って凄いなって思うんです。

少なくともアイデアは出ているのだから、自分に合わないからとすぐ却下するのではなく、もう少し掘り下げてみようってことですよね。ベストなのかはわかりませんけど、物事を一歩でも先に進められる Great な提案です。時間は許してくれます。確かに諦めるにはまだ早い。

「失敗」という言葉を用いず、「その方法ではうまくいかないことが分かった(から成功)」と表現したのは発明王エジソンでしたか。科学実験とはちょっと話が違いますけれど、通じるものがあるんじゃないでしょうか。すぐダメだったで済ませずにアプローチを変えてみるって大事ですよね。

ロジックで物事を捉え、必要なときには意見を述べて皆を誘導していける。璃奈ちゃんの素敵なところだと思います。「引っ張るタイプ」だと後に指摘されていたシーンでは首を激しく縦に振りました。

違う顔、映る顔

ところがアイデアを掘り下げると言っても 4 人の主張自体は変わらないわけですよ。かすみんの可愛い、却下。彼方ちゃんの枕のステージ、却下。ちょっと趣向を変えて、璃奈ちゃんの一致ゲーム、まったく合わない。散々です。笑

結局同じことの繰り返しになってしまって無駄に思える? いえ、そればかりではありません。

彼女たちが普段顔を合わせているのは学校の部活と、せいぜいが放課後などにちょっと遊びに行く程度なのかな。家での様子って外とはまた雰囲気が違いますよね。いつもと違う顔を知れるのがいいんです。

なかでも家族の在宅していた彼方ちゃんが顕著でした。気がつくとすやぴしていて、甘えんぼさんなところが目立つ学校での様子とは全然違います。留守がちな母親に代わってしっかり「お母さん」やっている姿も大好き。

彼方ママ*2 にとっては、いつも家のことを任せちゃってる娘が友人を連れてくるなんて一大イベントです。邪魔しに行って娘に煙たがれるタイプではないようですが、目一杯腕をふるってもてなしたいって気持ちはすっっっっごくわかります。

遥ちゃんにとって同好会メンバーは見知った相手ではあります。でもその節には世話になった人たちですから、ちゃんとやってるところを見てもらいたいですよねえ。そして褒められても自分の手柄にせずに、姉の教えが良かったと自慢するところが可愛いなあ。お姉ちゃん大好きなのが伝わってきますよね。

アニメ「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2 期」第 3 話より

そんな二人が動くので、彼方ちゃんのやることはもちろんありません。つい腰を上げかけて止められたのを見てクスリとしました。落ち着いて座ってちゃいけないように感じる気持もよーくわかりますよ。

身内にもてなされて妙に座りが悪くなる感じってなんなんでしょうね。でもそのちょっとした居心地の悪さが嬉しいというか……。逆かな。嬉しからソワソワしちゃうんでしょうか。学校では絶対覚えない感触だろうなと思います。見る側としても貴重な姿じゃないでしょうか。

すみません、脱線が過ぎましたね。いつもと違う顔を知るという話でした。

彼女たちはソロで活動していますから、お互いが作り上げているステージは知ってても、何を思ってその形にしているのだとか、そこに立って求めるものは何かだとか、深いところまで理解しているとは言い難いでしょう。

指摘されていた、かすみちゃんの自分だけに留まらない気遣いの仕方だとか、エマちゃんの妙に頑固*3 なところだとか、そういった面って小さいことかもしれませんが、積み重なってパフォーマンスに表れてくるはずです。

いつもとは違う様子を知ることでお互いの理解が深まる。メンバーそれぞれを生かしたステージを一緒に作るにあたって、根っこにある部分を知っておくことは肝要だと思います。

もちろん、仲間の目を通して自分がどう見えるかを知り得たのも大きいですよね。

一人で演じているときには、自分がどうかの知覚って、まあ必要ないと言ってしまっていいかもしれません。自分が思う自分と外から見える自分とが多少ずれていても、見る人を楽しませられてさえいればある意味それで十分でしょう。

しかし複数で演るとなると話が違ってきます。仲間と合わせて何かをやるるためには、自分がどう見えるのかも把握する必要がある。もし自分のイメージとにズレがあったら合うものも合わせられませんから。ズレを調整することで初めて足並みを揃えることができるし、また外から見える様子を意識することでグループの中での自分の活かし方が見えてくると。

アニメ「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2 期」第 3 話より

ティーカップを覗き込むのは面白い演出でした。自分の姿って鏡などに映ったものでしか確認できませんが、そこに見えるのは逆像ですものね。いくらそれっぽくても本当のカタチ(正像)とは違います。自分では自分の姿を正しく知覚できないって、例えばこういうことなんでしょう。

さらにさらにさらに! ここに璃奈ちゃんを持ってくるのが本当にニクい!!

璃奈ちゃんで映った顔といえば、1 期第 6 話(お当番回)のエピソードがすぐに思い浮かびます。ガラスに映る表情の変わらない自分を見て、笑って見えるように口を描き足していましたよね。その行為はどうにもならない自身に対する不満の現れ。気持ちはわからなくもないですが、変わることを半ば諦め、外から無理にでも「変えてしまう」手段をとっていた彼女に自己の否定を感じて、胸がキュッとなったものです。

アニメ「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」第 6 話より

それが今はどうでしょう。同じ映った顔を見つめるでも以前のとはまったく違います。現実を否定するでも勝手な自分の理想で上書きするでもなく、ありのままの自分を真摯に見定めようとしています。彼女には未だ自らに対する複雑な思いがあると思うのですが、まずは正しく自分を受け入れている。そんな様子が伺えます。強いなあ。

表と裏

今回は表で QU4RTZ のお話が進むと同時に、裏っ側では侑ちゃんがあれこれ悩んでいましたね。全然関係ないはずの二つのお話がシンクロしているところに構成の妙を感じました。

QU4RTZ の 4 人が自分たちで課したものに対し、侑ちゃんの悩みのタネは与えられた課題。その違いこそあれ、二組とも出すべき答えがさっぱり見えず、苦悩しているところからストーリーが始まります。

侑ちゃんが悩んでいたのはなんとなくわかります。

今まで音楽の世界に縁がなかった侑ちゃんは、ほぼ無手の状態で転科したわけですよね。そして座学で基礎となる知識を得たと。曲を作るための便利な道具を初めて手にしたわけですが、道具なんていきなり渡されても、そうそううまく扱えるわけがありません。特にこの場合、課題が「作曲をしてもらいます」と漠然としているので、何をしていいものやら途方に暮れるのも頷けます。

道具の扱いに戸惑っていたのは QU4RTZ も同様でした。4 人はユニットという新しい表現方法を試してみようとしていたわけですが、その新しい道具の活用が思いつかず。というのが上で述べてきたことです。ちょっとした共時性が面白いですね。

侑ちゃんがアドバイスを求めた先の、ミアちゃんの答えはさすがの「プロ」でした。求められるものに忠実に応えればいい。補講の最終課題ですから、習ったものが身についていることを示せればそれで十分で、変に色気を出して創造性を盛り込まなくていいってことでしょう。

その意見に同調する果林さんも、モデルとして「要求に応える仕事」をしている人の視点です。対して、それだけじゃ物足りないと主張するのは楽しいの天才さんですか。こういったところに物事の捉え方の違いが出てくるんですよねえ。興味深いです。

さてここでの立場の違いですが、求めに応えて出すものがプロダクトで、自分の内にあるモノが形を持って現れたのがアートだと、私はそんなふうに解釈してます。プロダクトは必要とあらば同質のものを二個三個と用意できます。アートは一点物。予想もしない良い物が生まれることもある一方で、必ずしも質が保証されるとは限らない。

どちらが上って話ではありませんし、また、実際きっちり二分されるものでもなく、二者間にグラデーションで存在するんでしょうけれど、現時点で侑ちゃんがどっちをやりたいのかが問題なのかな。後者を追うのならミアちゃんのアドバイスでは確かに足りなさそうですね。

ちゃんと後押ししてくれる同好会メンバーは心強いです。

ここの構図も普段と立場が逆なのがいいですね。同好会での侑ちゃんの役目はサポートで、いつも皆んなの相談に乗る側です。一緒にいて世話を焼いているから皆のことをよく知っています。ですがそれは逆もまた然りでして、皆んなにも自分のことを知ってもらっているんですよね。

で、今回のように悩んだり立ち止まったりした場合には、普段皆んなを後押ししている分が返ってきます。エールが自然と自分に還元されて前に進めるようになる。これは独りで夢を追いかけていては得られなかったものです。

こういった形で嵐珠に対するアンチテーゼを示すんですね。今回のエピソードの最後では、おウチで一人練習する嵐珠と、皆んなが待っている部室のドアを開ける侑ちゃんの対比が印象的でした。

他人の目を通して自分を再発見し、それが新しい形を生み出していくのはやっぱり QU4RTZ でも同じ流れです。一緒に居て横のつながりがあるからできることですね。

楽しもう!

最終的に出した答えが、まず自分のやりたいようにやってみる。こちらは侑ちゃん。そして QU4RTZ は――明示されてはいませんでしたが、私の解釈としては――難しいことを考えすぎずただ楽しむ。

最初、侑ちゃんはどう作曲すればいいか(及第点がもらえるか)に戸惑っていたし、QU4RTZ はどう嵐珠にメッセージを伝えるか(説得させられるか)に頭を悩ませていました。二組とも最初は外に対してのモノだったはずです。それが紆余曲折を経て自分(たち)の中に答えを見つける流れになっていますね。

少し自分語りを失礼します。こんな創造的な分野ではないのですが、私もちょっとしたモノ作りをしているんです。で、折につけて思うんですよ。人に向けて作ってはいるけど、やっぱり自分に立ち帰ってくるなあって。求めに応えるため試行錯誤しながらやってて、たまには奇抜なことに手を出してみても、どこかにはちゃんと「自分」を保ってなくちゃいけないなあって。最初に持っていたやりたいという気持ち、自分のソレにかけるおもいってとても重要です。モノ作りの出発点であり、土台になる部分だと思います。そこか揺らぐと、上に何をどう載せようがカタチにならないんですよ。初心に帰るなんて言葉もありますね。特に迷ったときには、自分が何をやりたいのか/やりたかったのかを見つめ直すと、複雑に思えていたものがスッキリと見え解決につながってくれると、そう思うんです。

話を戻しまして。侑ちゃんについてはほとんど語ってしまいましたので、QU4RTZ の残りに話を向けましょうか。

彼女たちが答えとして出したライブはホント楽しそうでしたね! 可愛い衣装。会場を一体とするステージ作り。デジタルを駆使した演出。傍にいて包み込んでくれるような空気感。一人ひとりが持っている良さを損なわず素敵に盛り込んであったのが嬉しいです。

アニメ「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2 期」第 3 話より

エマちゃんのお部屋のシーンではミルクティーが象徴的に使われていました。紅茶とミルク(と砂糖)って相性がいいですよね。一度注ぐと完全に混ざり合って、元の紅茶とも牛乳とも全然違って見えます。でも味わうと、一つひとつがそこに居るとわかる。紅茶の風味やミルクのコク、砂糖の甘さ。自分のいいところをちゃんと主張しつつも、でもお互いを邪魔することがないんですよね。それどころか引き立てるように作用しあいます。別々に飲んだって美味しいのに、二つ一緒にして砂糖を加えることでずっと深い味わいを楽しめる、ぜーたくな飲み物だなって思います。ユニットってそんな存在なんですよね。

そしてここでは観客を楽しませているのは当然のこととして、彼女たち自身が楽しんでいるのがなによりいい!

曲のタイトル "ENJOY IT!" も「楽しもう!*4」って意味でいいと思うのですが、目的語が it になっていて、具体的には示されてないのが興味深いです。

ライブはもちろん該当するでしょう。それだけじゃなくアイドル活動とか、もっと広く意味を取って、自分(たち)が取り組んでいること、友人と過ごす時間、切磋琢磨することなども当てはめられるんじゃないかと思うんです。

今回で言えば、彼女たちが嵐珠に伝えたいと思う気持ちそのもの、一緒にステージを作ろうと決めたこと、上手くいかず皆でさんざん苦悩したこと、合宿という名のお泊まり会を経て発見があったこと、もらった応援、そしてその果てに得られたライブ。それら全部をひっくるめて皆んなと一緒に楽しめたら。こんなに素敵なことはないですよね。

さてこれでメッセージは伝えられました。しかし肝心の嵐珠が渋い顔をしていたところを見るに、QU4RTZ の言うことを否定はできないけれど我が事として納得はしかねる様子ですね。

こちらが頑張っておもいを届けても、それを相手が受け取るかどうかはまた別の問題です。嵐珠の側に受け入れる準備がないのなら今の段階ではしかたないのかなあ。彼女のその頑なさが何なのか気になるところですけれど、第 3 話はここまでですね。

今週のたわごと

解釈に困ったのでスルーしようと思っていたのですが、あまりにも目立つ位置に置かれていて見るたびに気になるので触れておくことにします。

アニメ「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2 期」第 3 話より

MV 途中に出てくるオブジェクトは音叉ですよね?

皆さんはどう解釈しているのだろうかと、ちょこっとズルして、ブログを何本か該当部分だけ読ませていただきました。*5 ざっと見たところ、バラバラだった 4 人を調律する道具というのがあらかたの見方なんでしょうか? だとすると(私の解釈ベースでは)「楽しむこと」が表象されてるってことですね。なるほどなるほど。

私は解釈を投げているので、これは答えというわけじゃ無いのですが、実は見たときにぱっと思ったことがあります。それをこの感想のまったく締まらない締めにしたいと思います。

――音叉かぁ。確か 440 Hz だったかな? 純音。倍音も含まないから音波は綺麗な正弦波を示すんだよね。ん? ってことは、これって "sine"……? 今回のサブタイトル「sing! song! smile!」に続く 4 つ目の "s" !?

*1:7,800 字。いつもの 1.5 倍の分量を書いていたとは自分でもびっくりです。そりゃ時間もかかるってもんだ。

*2:可愛らしかったですね!! 確かに、あの伝言メモ(1 期第 7 話)を書きそうな感じ。

*3:これじゃ表現が失礼極まりないですね。劇中では「芯が強い」と言われてました。

*4:正確には「楽しんで!」ですかね。

*5:他の方の解釈が交じると自分の感想がブレてしまうので、いつもは見ないようにしています。