不安さえも ~Holiday∞Holiday~

スリーズブーケの 103 期 5 月度楽曲「Holiday ∞ Holiday」(以下「ホリホリ」)といえば、みなさんは何を思い浮かべますか。

やはり「月・火・水・木・金・土・日」でしょうか。キャッチーなサビは確かに耳に残ります。ワイパーも楽しいですよね。

それとも「安全バーは君の腕」? 先の サマステ音楽 LIVE(2023 年 7 月 29 日開催)では、花宮さん(梢)が楡井さん(花帆)の腕を実際に握っていて、聴衆からは大きな歓声が上がっていました。ええ、尊いです!

振り付けでなら「急上昇して急展開」も外せませんか。花帆さんが指で示すのを目で追う梢さん。からの、クルッとふたりが回る様子はいかにもジェットコースターが回っているのを眺めているようで楽しいですし、なにより可愛らしいです。

あとは、落ちサビの花帆さんも鉄板かも知れませんね。

YouTube「スリーズブーケ 「Holiday∞Holiday」 ライブビデオ from 2023.05.31 103期5月度Fes×LIVE」より

はいかわいい。拍手ー。彼女のウインクにはどれくらいの人が心を撃ち抜かれたことでしょう。もちろん私もその一人でございます。

……しまった、ちょっとマクラを書くだけのつもりが次から次へと。こんなことをダラダラと続けていても とても楽しい なんのためのブログだかわかりませんね。

この歌には、初めて聞いたときから気にかかっていた箇所があります。今日はそこを中心に歌詞について述べたいと思います。

ゲージとは

ホリホリはジェットコースター*1 がモチーフの歌です。全編通して比喩的に使われていて、1 番はゲートを抜けて乗り込むまでがおおよその流れで、2 番は実際に動きだしてからの様子が描かれているでしょうか。

解釈はそれぞれかも知れませんが――「きっと」や「連れてって」という未来に対する言葉しか出てきていないのを見ると――乗って動き始めているものの、これから落ちるその直前までが描写されているのかなあ、などと思います。

2 番のこのあたりからが特に好きです。

(It's time to go) 心拍数のゲージが上がる

「ゲージが上がる」って少し舌足らずな表現ですよね。メトニミーに当たるのかな。

ゲージとは計器のことですけど、ここは「脈を計測するための器具が上方に浮かんでいく」と言いたいわけではありません。計器には目盛りが付いていて、数値を示す針なりバーなりが上へ振れていくと。その様子を「ゲージが上がる」と表すわけです。回りくどくなるためスパッと言い切ってるのでしょう。

でも、ちょっとばかり疑問に思います。冗長を嫌って短くしたというなら、そもそも「ゲージ」という語が要らないんじゃありません? ここは「心拍数が上がる」で事足りるような気がします。それでまったく意味が変わらないのに、わざわざ持ち出してきている理由はなんでしょうね。

私は、視覚的な効果を狙っているのだろうと思うんです。

心拍数はただの数(bpm)ですから、そこには大きいか小さいかしかありません。脈の速さだと考えるにしても速いか遅いか(時間の短い長い)です。

ところがここに「ゲージ」を持ってくるとどうでしょう。心拍数が大きくなるにしたがってゲージのバーって上へ伸びていきますね。位置の高い低いに変換できるのがミソで、これってスタート後のコースターがゆっくり上っていくのとイメージがぴったり一致しませんか。

実際には順番が逆で、コースターが上昇するのに呼応して緊張で心拍数が上がっていくわけです。ここにあるのは位置の上昇と、数が大きくなる比喩的な上昇の2つ。後者を位置的な上昇に変換して、前者と視覚的にオーバーラップさせるのが「ゲージ」という一語の役割なのでしょう。

鼓動が速くなる様を歌っているだけなのに、余計な一語があることでジェットコースターが昇っていく様子を想起させられます。そしてその具体的なイメージが、高まっていく緊張感をよりリアルに感じさせるように思うんです。

直接的には何も情報量を増やさないはずの「ゲージ」。不思議な形ではたらいていそうでお気に入りです。

戻れなくなったのって、今?

高まる緊張感に関しては続くフレーズも良い仕事をしています。

(Let's go) もう戻れないね Ride on! Ride on!

ここで「戻れない」と言いだすのが興味深いんです。

ちょっと振り返って 1 番を見にいくと、コトの始まる合図がすでに描写されているのを見つけることができます。

まず「ゲートが開く」。列に並んでいる途中なら引き返すこともできますけれど、搭乗口を抜けてしまえばあとは乗るしかありませんよね。さらに「ベルが鳴り響く」もです。発車ベルが鳴れば動きだしてしまうのですから、どうやったって降りられるわけがありません。

現実的な戻れないタイミングは 1 番の内に 2 度も過ぎているんです。でも「戻れない」と実感するのはずっと後の 2 番に入ってから。昇りきったここに来て、そしてレールの先が落ち込んでいるのを目前にして、やっとこ「もう戻れないね」ですって。

乗り込むときやスタート後の上っている途中はまだ考えを巡らす余裕があるのでしょう。しかしもう頂上です。降下に移ったら最後、Non-stop で振り回されるのがわかっています。その直前の「高まり」たるや、といった感じでしょうか。

回帰不能点はもっと手前にあるはずなのに、完全に逃げ場のない状況を突きつけられて初めて「覚悟を決めるしかない」となるのって、妙にリアルじゃありませんか。なんだか可愛らしく思えます。

溶けて消える

さて、私が解釈にずっっっっと(無駄に)悩んでいたのがさらに続くフレーズです。

不安さえも青の中に
溶けて消えちゃったらいいな

コアになる部分は後にしまして、まず周りから固めていきましょう。

「不安」はわかります。いくら覚悟を決めたといっても、これから上へ下へ右へ左へ一回転と振り回されるのが決定されている状況ですからね。心拍数や目を瞑りたくなる衝動、君の腕を握りしめる動きからも不安でいっぱいなのが見て取れます。

「青」は空のことでまず間違い無いですよね。ピーカンなのかなあ。*2 行楽日和に遊園地デートだなんて羨ましい。笑

そして「溶けて消える」とはまた詩的な表現で素敵ですね。

コースターが勾配を上るにつれて地面は遠ざかっていきます。座席では視線が上向きに固定されることもあって、視界にあったものがだんだん見えなくなっていく。喧騒も後ろに遠く。

地上の雑多なものが希薄になる一方で、目の前は青で埋め尽くされていきます。

この時消えていってるのは自分の周りにあったモノです。なのに、こうして周囲にモノがなくなると、不思議と自分さえも希薄に感じはじめる感覚ってありませんか?

絶対的な自己を保つのは難しくて、観測するための基準が周りにないと人間って自分を見つけられないのかな、などと哲学めいたことを考えたくなりますが、それはさておき。

目一杯に広がる青。薄くなっていく自分。まさに溶けて消えていく感触を体験しているのでしょう。ならば、この「不安」も一緒に「溶けて消えちゃったらいい」と。ゔんゔん、そうですね。

と、済ませかけたところでハタと思い直しました。

さえも

不安さえも青の中に
溶けて消えちゃったらいいな

「さえも」ってなんでしょうね。

「不安『が』消えればいい」ならニュートラルな表現ですから問題ありません。「不安『も』」でもわかる。自分が溶け消える感覚を味わっている今、類似のものを列挙する係助詞「も」は十分にはたらきます。

でも、どうしてここに「さえ」が加わるのだろうと。譜割の問題がありますし、「も」を強調しているだけかとも考えたのですが、どうにも腑に落ちなくて延々悩んでいました。

以下、ちょっと文法的な話にお付き合いください。

まず考えたのが条件としての「さえ」です。

副助詞「さえ」は「ーさえ〜したら」の形で条件の仮定を表します。十分条件ですね。それ単独で条件を満たす、そんな条件を示してくれます。「A さえあれば」と言えば、A の他には何も要りません。

しかし歌詞では「も」が一緒に使われています。単独で完結する条件の「さえ」と、他の事物の存在を暗に示す「も」。相性が悪そうなんですよね。条件は「さえも」の形では使わないと考えてよさそうかな。ボツと。

次に極限の「さえ」を見ましょう。

極端な例だったり上限・下限だったりを提示することがあります。これは「も」と併用可能。たとえば「子供で-(も)分かることだ」なら、理解力に劣る子供(=下限)を例示することで、優れるはずの大人について言外に述べることができます。 …が~なのだから他は言わずもがな、といった意味合いですね。

極限の「さえ」はあくまで例示です。そのものに焦点を当てたいのではなく、むしろ言外のことがらについて述べるはたらきをします。挙げた例では、そこには出てきていない「大人」への言及が目的になっています。

歌詞は「たら」で受ける条件節ですから欲しいのは明示的な基準でしょう。例示であり、引き合いに出すだけの極限の「さえ(も)」では要件を満たさないようなんですよね。これもボツ。

さて、「さえ」にはもう一つ意味がありまして、それが「添加」です。*3

添加の「さえ」は物事を付け加える意を表します。例えば「雨が降ってきただけでなく、雷-鳴りだした」。

類似のものを提示する意味において列挙の「も」と似ているけれど、少し違いますね。「A は~、B も~」なら A と B は並列です。「B は~、A も~」と書き換えても本質的な違いはありません。 一方で「A は~、B さえ~」は交換不可能。まず A があり、あと付けで B を加えていて、そこには明確な順序が存在します。つまり「さえ」を用いて B を述べるときには、A については完結が含意されるように思います。

これを歌詞に当てはめるなら、まず前提として何か「溶けて消え」たモノがあって、それに加えて「不安さえも」消えたらいい、と。いいんじゃありません?

「さえ」の裏にあるもの

解釈が正しいなら、私が最初、「も」の強調形だと考えたのもあながち間違いではなかった。……と言いたいところですが! 残念。それでは添加の意味を読み落としています。

添加はただの「も」や、その強調とは違います。順序があるからこそ使われているんです。

「不安さえも」の前提にあるもの、つまり先に消えてしまっている何かを、私は「自分」だと解釈しています。とすると歌は、自分というものが溶けて消えちゃってても、未だ残る不安があって――という場面。

ここで添加の意味が効いてくるのは、「自分」については話が完結している点においてです。「消えてしまいそう」でも「消えていってる」でも、もちろん「消えたらいい」でもなく、「消えちゃった」。もうそこに「自分」は無いものとして語っています。少なからずその意識がなければ「さえ」が出てこないはずです。

ここで今一度、場面を思い返してください。ジェットコースターはもうすぐ急降下に入ります。その先は君が連れて行ってくれる未知の世界ですね。

未知のものを取り入れるのに有効な手段は、一つに今までの自分を忘れてまっさらな状態で臨むことだと思います。いろんな外的刺激を浴びても、受け取る自分が以前のままなら何も変わらない。新しい場所へ連れてってもらうだけの受動的な態度ではダメで、意識して自分を変えるつもりでなくてはいけません。

だから、このタイミングで「自分」というものが溶けて消えたと、完了形で考える姿勢が光るんです。見たことない世界に飛び込んでいくのにとても好ましい態度だと、そう思うんですよね。

我ながら少々妄想が過ぎるように思いますが、以上が「さえ」についての考察もどきになります。*4 一例としてそんな読み方はいかがでしょうか。

今を生きる

さて 2 番のあとは(C メロっていうんですかね)内容がちょっと変わります。

今を 今を 今を生きる とてもシンプルなこと
いつも いつも いつも 忘れてしまうの何で

君が先導してくれるジェットコースターに乗っていたはずなのに、急に自分自身の生き方を顧み始めました。間奏を挟むためか曲を聴く分には違和感はないのですが、歌詞だけを順に追っていると、この話題の切り替わり方にはちょっと、おや?と、なりませんか。

しかし、ここで冒頭を見返して、私が歌詞を読み違えていたことに気づくんです。

「君」や「君が連れてってくれる世界」という直接的なフレーズが出てくるため、ジェットコースターは前者(もしくは両者)の例えだと解釈してしまってました。なんとなくの印象で、これは「君」の歌だと思い込んでいたんです。

けれども、歌い出しにはちゃんと「予想できない一日と君は」って出てきてるんですよね。

予想出来ない一日と君はとても似ている
例えるならばジェットコースターを見てる感じかな

思い込みがあるために私はこれを正しく読めません。ハナから主題を「君」だと取り違えているので、「予想できない一日」が比喩や比較のために持ち出された従属要素だと考えていたんです。気づかないうちに意識の外に放り出してしまってました。

「は」は主題を示す副助詞です。

(歌詞とは語順を入れ替えた)「B は A と似ている」という文であれば、その主題は B。以下に展開される話題は B についてです。A は一時的に呼び出されただけなので、連なる文の中では重要なはたらきをしません。

しかし歌詞は「A と B は 似ている」の形をとっています。「は」が受けるのは「A と B」ですから、この文の主題は A と B の両方になるんですよねえ。

ホリホリは、「予想できない一日」と「君」のふたつが主題の歌だと最初に宣言してくれていたようです。

そして、続く文でふたつの主題をジェットコースターに直喩してあるのですが、これがまた興味深い言い回しをしてありますよね。「ジェットコースターみたい」じゃないんです。「見てる感じ」と観測者の立場にいます。

「君」については妥当な表現でも、「予想できない一日」の方でこれは問題アリじゃないでしょうか。一日とは自分が過ごすもの。なのに傍観者でいては。

「予想できない」というからには、それなりに出来事が起こって、それなりに忙しい毎日を送っているのだと予想します。しかしこうして他人事のように話すところを見るに、自分の前に来たモノを機械的に処理し続けるだけの毎日なのかなあと。出来事が目の前をただ流れていくだけで、意味や意義を考えながら対処したり、意思を持って自ら行動したりしてなさそうな雰囲気です。(書いてて私にグサグサ刺さります)

この歌は、そんな自分に疑問をいだいていた、がまずありきなのかな。そこをスタートとして、君の世界に憧れ、君にいざなってもらうとするのが「Holiday ∞ Holiday」という楽曲なのでしょう。

だから 1 番、2 番で「君の世界」がどんな様子なのかを描いただけで終わらせず、C メロで内省に戻ってくるのも当然です。だってこれは自分が日々をどう過ごすか、ひいてはどう生きるかの話でもあるのですから。

案内役を君に任せてはいても、そこでどうしたいかはちゃんと自分で考えているところが好ましいですよね。主体性を手放していないのがいいなあ。

さて、この曲はジェットコースターが上ったあたりまでしか描写されていません。「君の世界」へ飛び込んだあとのことは、「きっと」などの予感めいた未来の表現しか出てきていませんね。すごくイイトコロで終わっています。実際、先がどうなるのかは分からないわけですが……。

きっと大丈夫だと私は請け合いたい。だって!!!!! これは、見てただけのジェットコースターに、同乗者の手助けがありつつもちゃんと自分の足で乗り込んだってお話なんですよ。それで十分に答えは出ているんじゃないでしょうか。

と、ああでもないこうでもないと頭を捻りつつ、最終的にそんな感想を持った楽曲なのでした。

Ride on

シメに小ネタを一つ放り込んでおきます。

(It's time to go) 搭乗口のゲートが開く
(Let's go) ベルが鳴り響く Ride on! Ride on!

1 番にも 2 番にも出てくる、「Ride on!」というフレーズがあります。

特段悩む箇所ではありませんよね。素直に「〜に乗る」で。on が取れる目的語は一般に馬、バイク、車など様々ですけれど、この場合はジェットコースターで問題ないでしょう。2 番の方は on を副詞と見て「乗り続ける」と訳しても良いかもしれません。歌詞解釈はそれで十分です。

ここからが妄想風味。

実は "ride on" には別の意味もありまして、「〜次第だ」「〜を拠りどころとする」といった感じでも使われるんですね。

ride on sth
(Usually used in the progressive tenses) to depend on sth ◇My whole future is riding on this interview.

(Oxford Advanced Leaner’s Dictionary 9th edition)

注釈にあるように進行形で用いられるのが常なので、ホリホリには当てはまりません。でも、こうして "ride on" のベースに「何かに寄りかかって身を委ねている」イメージがあることを知れば——。

不安だからと君の腕を握りしめるこの歌が、わずかに「エモさ」を増したようには思えませんか。

*1:私は絶叫系の乗り物があまり得意ではなくて……。今回は数少ない経験の中から、とある山梨県の遊園地に遊びに行ったときのことを思い返しながら書きました。なにぶん昔のことですから記憶があやふやで、もしジェットコースターというものに対するイメージがズレていたらご容赦ください。日本一の山の名を冠したマシンはそれはもう恐怖でした。ううぅ。

*2:「金沢の空は鈍色」と言うそうです。ストーリー本編やいつだかの With x MEETS でも、似た話をさやかちゃんがしていました。金沢は晴れの日が少ないらしいですね。彼女たちの目に青空はどう映るのでしょう。太平洋側に住む私などとは印象が違ってそうで気になります。

*3:辞書には「現代語ではこの用法は少なくなっている」(三省堂 スーパー大辞林 3.0)と出ており、私も調べるまで思い当たりませんでした……。散々悩む前に辞書引けばよかった。

*4:単語一つの使い方について、こんなに(無駄に)様々なことを思い巡らせられるだなんて、言葉って本当に面白いと思わせられました。