春・夏・秋・白銀 〜水彩世界〜

スリーズブーケの楽曲、「水彩世界」の歌詞は 2 番の頭が好きです。

初めて歌を聞いたときは、梢センパイ素敵に歌うなあくらいの印象だったのですが、改めて歌詞を目で確認したとき、その描写する風景や心情にぐっと惹かれました。

春風に舞う桜色
夏空叫んだ日の青
秋の暮れ燃える赤
白銀の冬

スリーズブーケ「水彩世界」

対比

1 番の歌詞は「濁る」から始まっていましたが、ここはその対比になっていますよね。

思った色を出せずに苦悩していた様子が描かれていた前の段。同じ箇所のフレーズに、今度は明確にイメージできる確かな色を置いてあります。おかげで「それ以前」の、色にならない濁った水がいっそう際立ってくるように思います。

加えて 2 番では、自然の色を提示してあるだけなのも面白い作りです。1 番では何かしらをキャンバスに描こうとしていました。つまりは、思う色を作り出そうとしていた。対してここに挙げてあるのは、人の手が加わっていない色です。

理想となる色を思いついたのでも、自分で新たに作り出せたのでもありません。あるがままの色に、多分、気づいたとか。そんな感じでしょうか。

何かを見つけ出そうと苦悩していた時にだって、これらの色はきっとそこにあり続けたはず。キッカケはちょっとしたことだったりするのかも知れませんが、そこにあるモノの美しさに気付けるのは嬉しいこと。

こうして数え上げられるようになったのは「ひとりじゃない」からこそです。

静かな冬

さて、この四季を歌う一節の中では、冬だけが様相を異にしていますね。

風に舞う桜色
空叫んだ日の青
の暮れ燃える赤
白銀の

スリーズブーケ「水彩世界」

他 3 つが「季節→色」と、季節が色を修飾する文構造なのに対し、冬は「白銀→冬」と色が季節を修飾する逆の形になっています。面白いですよね。

それだけじゃなく、冬は色が指定されるのみで他の修飾が一切ありません。

春には風に舞う桜の花びら。夏の叫ぶというキーワードからイメージするのはエネルギーの強さでしょうか。暑い日差しを想起されられます。秋の赤は、紅葉でもいいのかも知れませんけれど、暮れというからには夕焼けかなあ。

一方、冬は白銀とあるだけです。白銀は雪の異名でもあるので、ミニマルな表現で事足りるのでしょうか。

また、桜色・青・赤には色彩がありますが、白(白銀)は彩度を持たない色ですね。これも特徴的と言えば特徴的です。

そして綴っている中身にも違いがあるように思います。

春の風にはやわらかな動きを感じますし、夏の空には強いエネルギーを覚えます。秋は暮れ。人々の活動が終えられ休息へと移ろっていく時間ですが、ここに「燃える」という語を持ってきているのが好きです。私は残り火をイメージしました。徐々に弱くはなっていくけれど、まだ動きが感じられます。

そこに「白銀の冬」。

私はかなり温暖なところに住んでいまして、雪に縁がないので、白銀と言われてもその語が表す本当の意味を理解できないのですが、実際どんな感じなのでしょう。

降り積もった雪。音が消え、何もかもが止まったように思える世界。動きのある(残る)春夏秋の後に並べられると、ちょっと寂しいかなあ。

春の様子は朝のうちの時間が断然似合うでしょうし、夏が昼下がりで、秋が夕暮れ。となると、順番的にこの冬は夜でしょうか。これも動きを感じられない時間帯です。

といった風に、この一節はまず「冬」に意識がいくような作りになっているのかなと。そしてその最後の季節の修飾の少なさと、彩度の乏しさ、動きのなさから「静」のイメージが残るように思います。

急くこころ

ここまでは一年のスパンでしたが、続く節ではもっと短い時間を歌います。

余白だらけの一日も
ただ過ぎていく一秒も

スリーズブーケ「水彩世界」

今を過ごす自分を内省したとき、一日の枠で眺めてみれば余白だらけ。瞬間を捉えてみても、一秒一秒がただただ過ぎていくだけ。前節「静」の余韻が、ここでの活動的ではない様子に繋がっているように聞こえます。

「余白」があれば埋めたくなる? 「過ぎていく」のをもったいなく感じる? 何かをしなくちゃと考えてしまう焦りはどこに由来するものなのでしょうね。

現代は自己を確立する基盤が得難くなっていると言われてます。*1 昔なら多少のほほんと過ごしていても、それなりに自分の立ち位置が定まっていたように思う(少なくともそう思えていた)のですが、今は事情が違うんですよね。

何者でもない状態はストレスで。だから空いたまま過ぎていくのを許容しないのかな。時間を無駄にせず、常に何かを追い求めていないといけないと。

少し話が脱線しますが、ここは「過ぎていく一秒も」の振りも興味深いです。肘を中心にして腕先を一回転させる動きって、もちろん時計の針をイメージしているんでしょうけど、梢センパイと花帆さんのタイミングがズレているんですよ。二人の時間が別であることの示唆か、たとえば花帆さんが追いつこうとしているところなのか。皆さんはどう見ますか。

YouTube「【蓮ノ空初バーチャルライブ全編無料公開】103期新入生入部記念Fes×LIVE [2023/04/16]」より

そしてこの後は反転、さらに反転。ネガティブに捉えていたイマも「宝物」になりえると言ったかと思えば、やっぱり何かを探しに「駆け」出す*2 わけですが――。

そろそろ 紙面 私の力が尽きてしまいましたので、歌詞に関してはここで筆を置きたいと思います。

振り付けと演出、歌割りとか

ここまで歌詞考察まがいを述べてきました。でも、なにも普段からこんな小難しい風のことを考えているわけではありません。むしろ歌詞解釈は苦手なんです。

楽曲を聞いている時も、ただぼーっと耳から入れているだけのことがほとんどです。

YouTube「【蓮ノ空初バーチャルライブ全編無料公開】103期新入生入部記念Fes×LIVE [2023/04/16]」より

今回取り上げた箇所だって、季節ごとにライトの切り替わる様子が綺麗だなーとか。梢センパイはなんて優雅に手首を返すんだろうとか。それくらいのコトしか頭にないかも?

……ホント何も考えてないですね私。これじゃあ「聞いている」とも言い難いなあ。まさに“ちくわ耳”で。笑

ああ、でも「水彩世界」なら他にちゃんと(?)語れる場所があります。落ちサビ良いですよね!!

YouTube「【蓮ノ空初バーチャルライブ全編無料公開】103期新入生入部記念Fes×LIVE [2023/04/16]」より

「花が、パッと咲いた」のところ。梢センパイの落ち着いた語るような歌いから、花帆さんの明るく元気な声に切り替わった瞬間、本当に花が咲いたように感じられるのが好きなんです。蓮の花は咲くときにポンッと音がすると言われますけれど(実際には鳴らないらしい)、まさにそんなイメージです。大のお気に入り。

あと、ふたりの絶妙なダンスの違いとかも気になっていたりするのですが、細かい点を挙げてもただの羅列で終わってしまいますので、この辺りで止めにしておきますっ。

ライブ良かったですね!

今回こんなことを書こうと思ったのは、先日の Opening Live Event ~Bloom the Dream~(2023 年 6 月 4 日、パシフィコ横浜) にいたく感動したからなんです。

最初はライブレポ(オンライン視聴ですが)でも書こうかと考えていたのですが、どうもまとめられそうにありませんでした。で、そのエネルギーを吐き出す先として歌詞考察的なナニカを。歌って踊る姿を見て、やっぱり良いなあと思った楽曲から一部を引っ張ってきました。

蓮ノ空はアレコレぼんやりと考えていることがあります。スリーズブーケに限らず他にも歌の話だとか、リンクラでまさに今綴られている物語とか、メンバーの関係性とかとか。私の筆の遅さだとそう簡単には叶わないのですけど、ポツポツとでも上げられたら良いなあ……なんて。

ライブを見て、ただ純粋に胸が熱かっただけでなく、そんなことをも思わせてもらった日曜日でした。

*1:地域や会社といった社会への帰属意識が希薄に。また、SNS 等コミュニケーションツールの発達で遠くまで世界を見通せるようになったため、多少何かに秀でていても、それが大したことでないと簡単に思い知らされる。

*2:梢ちゃんは雨のイメージで、花帆さんが太陽とは、梢を演じる花宮さんの談だったと思います。ふたりの陰と陽の対比が、ここの歌割りにも呼応しているようです。好きなポイントの一つ。