アニガサキ Ep5 "Something I Can Only Do Right Now"(英語字幕)感想
今回のコメントは小ネタを寄せ集めた感じになりました。それぞれ独立しているので項目はてきとうに並べ替えてあります。内容の重さ?順になるかな。
英語とは関係のないところで何やら語り始めている箇所もありますが、御容赦いただければと思います。
例によって日本語感想は以下のリンクです。
- The international exchange program
- Not the only...
- A lady of culture
- Crowds / Too many people
- Even more
- Feel all warm and fuzzy inside
- Our dreams
The international exchange program
エマ : I'm Emma Verde. A third-year at Nijigasaki in the international exchange program. / 虹ヶ咲学園国際交流学科 3 年、エマ・ヴェルデです
菜々 : General curriculum second-years, Yu Takasaki-san and Ayumu Uehara-san. / 普通科 2 年、高咲侑さん、上原歩夢さん(第 1 話より)
菜々 : May I help you, Karin Asaka-san, a third-year taking the life design course? / 何のご用です? ライフデザイン学科 3 年の朝香果林さん(第 2 話より)
愛 : I'm a second-year in the information processing course, Ai Miyashita! / 情報処理学科 2 年、宮下愛だよ(第 4 話より)
引用が第 5 話からだけじゃありませんが、今回で学科の表記が一通り揃ったようなのでまとめてみました。
ちょっと調べたところ、アメリカで high school といえば(特殊なところを除けば)日本で言うところの普通科しかないそうで、つまりは「~科」に相当する呼び方も存在しないみたいです。だからここの英訳が一般的な説明(大文字化させてない名詞)に the を付けた「~を学ぶ課程」のようになっていると。なるほど。*1
中でもエマちゃんは交換留学生だから program 扱いだし、普通科は curriculum になっていて、course ではないのが興味深い点です。
確かに「国際交流」はお題目を指すのであって、学ぶ直接の学問や技術対象ではありませんね。また「普通科」とは、そのいかにもな名称とは裏腹に、どの専門分野でもないいわば「その他」を表していますから、course にはなりえません。これって同じ「科」の分類のはずなのに、本質の違うモノが混ざっているってことですよね。
高校における科の名称なんて当たり前のように受け入れていましたが、一般に分類・名付けのルールは統一されていないと言えるのですね。面白いです。
Not the only...
果林 : You came all the way to Japan just to eat that? / それを食べるためにわざわざ日本へ?
エマ : Huh? Oh, no. That's not the only-- / え? ううん。そうじゃなくて……
字幕を見て「へ?」ってなったのがこのシーンです。"That's not the only" って、エマちゃん、その後に何て続けるつもりだったんですか?!
ここに続き得る語は reason ですよね? 反訳するなら「それだけが理由じゃなくて」。それって、卵かけご飯を食べるのも、わざわざ日本に来た目的の一つってことになりますが……。
そっかあ。そんなに食べたかったんですね。彼女のメモリアルアイテムがどんぶりになる のも納得ですよ。
A lady of culture
侑 : Yup, of course Kasumi-chan is as cute as ever. / うんうん。かすみちゃんはやっぱり可愛い。だよね
かすみ : Oho, Senpai. / さすが先輩
かすみ : I see that you are a lady of culture, as well. / わかってくれてますね
- culture [名] 2 [U](学問・技能などの)修練; 教養, 洗練 > a man of culture 教養のある男性 (ウィズダム英和辞典 第3版)
かすみんがかわいいのは私も知ってるよ! ……いえ、だからそこではなくて。
別になんてことのない場面のなんてことないセリフで、英訳も特に何かあるようには思いません。ただ "as well"(~も)が付いているのだけを不思議に思ってたんですが――。
ここって訳が一種のパロディになっていたりしますか?
実はこのシーンがネタ扱いされているのをちらっと見かけたんですよ。何が面白いのか全く分からなくて、でもどうしても気になったのでアレコレ検索したら、とある画像に行きつきました。アニメ『荒川アンダー ザ ブリッジ』のキャラクター・ラストサムライのセリフです。
Ah, I see you're a man of culture as well. / リク殿も好き者にござるな
こちらもなんてことのないシーンらしいのですが、その英訳があまりに汎用的すぎて meme になっているみたいですね。フォーラムや SNS のやり取りで相手のセンスを褒める(?)ときにこの画像を張るのかな。そんな感じに使われているみたいです。
原文では相手の名前を呼びかけていますけれども、英訳は "you" と、誰に向かってもそのまま使える形になっているところがポイントでしょう。画の持つ雰囲気がなんとも言えず、趣を感じられますね。
さて、英語字幕を主に必要としているのはもちろん英語を話す人たちで、こういった英語圏での meme も大抵は知っているわけです。先のかすみんのセリフも、訳がああなっているのを見ればクスッとなるのでしょう。翻訳者も意図してパロディの形にしたんじゃないかと……いや、どうでしょうね。インターネット・ミームなんて仕込むかなあ。
ともあれ、私はそこまでどっぷりと英語文化に浸かれるほどの力は持ち合わせておりません。今回は話題になっていたのをたまたま拾えたわけですが、そうでなければ全く気づけなかったところです。
こういったネタの難しいところは、訳や反訳が正確にできても、作者・訳者の意図(または偶然の面白さ)を 100 % 堪能するには程遠いってことですよね。まずスルーしてしまいますし、気づけたとしても「理解はできる」レベルに留まるのみ。有るべき「こみ上げるようなおかしさ」はとても望めないでしょう。
遊びの部分は、ただ言葉のお勉強しているだけでは、楽しめるようにはなれないのですよね。その背景にあるモノにも馴染んでいかなくちゃいけない。
また、これはダジャレをアレコレ考えているときにも思ったのですが、一見関係していなさそうなアレとコレを結びつけて考えられるのは、やっぱりセンスなんだろうなとも思います。
どうやって鍛えたらいいんでしょうね。まずは違和感を見落とさないようにするところからかなあ。
Crowds / Too many people
エマ : Are you by yourself? / 一人?
果林 : Yes. I don't like being in crowds. / ええ。騒がしいのは苦手なの
エマ : I wish you could join, too, Karin-chan. / 果林ちゃんも一緒にやれたらいいのになあ
果林 : You know that I don't like being around too many people. / そういう賑やかなのは苦手って知ってるでしょう
果林さんの言が 「騒がしい」から「賑やか」へ変化している点についてはすでに述べてあります が、ここの英訳がどうなってるかも気になっていました。なるほど "crowds" と "too many people" ですか。
正直なところ、正しいニュアンスを受け取れている自信はありません。くわえて、答えを先に見ているからそう思えるのかもしれません。しかし、この二語句からくる印象もやはり差があるように思います。
一つ目の引用は「ある程度以上の人が集まる場所が苦手だ」というだけの、一般的な好みの話ですね。特定の状況は考慮しない。ここの crowds、人混み・ごちゃっとした人の集まりは、どこからをそう呼ぶかの基準は人に依るものの、それなりに客観的な言葉だと思います。
二つ目の引用は、一緒にスクールアイドル活動をやれるかどうかの話です。断るために使われている many people も、多数の人という意味では同じなのですが、そこには "too" が付いているのですよね。
"too many people"。多すぎる人と言われても、数をどう見積もっていいものか全く分かりませんね。2 人で too many と感じる人も居るでしょうし、逆に 100 人や 200 人くらい全然問題ないという人だって居るかもしれません。どこから「多すぎる」のかは完全に主観です。
人が多すぎる。だから一緒にはやれない。
この受け答えは一見論理的に思えます。でも、その「多すぎる」の基準は自分勝手に決められるのですから、理由にはなっていませんよね。やりたくないのがまずありきで、それっぽく聞こえるように擬似武装したに過ぎません。
果林さんは今、動き始めた自分の心を認めたくないんでしたね。スクールアイドルをやる方向には動こうとしない。そっちへは行きたくない。それで同好会の面々を苦手な many people ということにするために、恣意的に扱える "too" を使ったんじゃないかなと私は感じました。*2
Even more
エマ : It's been so long since I've seen you smile. / 果林ちゃんの笑顔、久しぶりに見たよ
エマ : I want you to smile even more, Karin-chan! / 私、もっと果林ちゃんに笑っててほしい
果林 : I just didn't want to see Emma sad anymore. / 私はエマの悲しむ顔が見たくなかっただけよ(第 4 話より)
前回ちょうどいい箇所に触れていたので、ついでにこのシーンも取り上げておきます。
エマちゃんのセリフは、第 4 話の果林さんと対になっているとも取れるんですね。原文だとそれを主張するにはちょっと無理のある形かもしれませんが、英訳では "even more" と "anymore" が光ります。
エマちゃんは、果林ちゃんに笑ってほしいと。果林さんは、エマに悲しんでほしくないと言います。
シチュエーションが違うので単純には対比できないかもしれません。ですが、友人に同じ「健やか」を願う言葉でも、「よりプラスでいてほしい」と「もうマイナスでいてほしくない」の表現の違い。人の心をぽかぽかにさせたいと望むエマちゃんと、人には必要以上に干渉したくない果林さんの(少なくとも同好会加入前はそんな感じでしたよね)、二人の性格の違いが言い方に現れているような気がして、なんだか嬉しくなったのでした。
Feel all warm and fuzzy inside
エマ : When I was little, I was watching videos of Japanese idols and my heart felt all warm and fuzzy inside. / 小さい頃、日本のアイドルの動画を見て心がぽかぽかってなったことがあったの
- ぽかぽか (1) [―と―する] からだの中まで快い暖かさが感じられる様子。 (新明解国語辞典 第 7 版)
- fuzzy adj. 1 covered with short soft fine hair or fur / 3 not clear in shape or sound / 4 confused and not expressed clearly (Oxford Advanaced Learner's Dictionary 9th edition)
オノマトペ(擬音語・擬態語)って便利ですよね。たとえば、ざあざあ・ぽつぽつ・しとしと。雨の降る様子が、粒の大きさ重さや、聞こえてくる音といった感覚を伴って区別できます。
ですがこのオノマトペ、日本語以外にはあまりないらしく、ノンネイティブには掴み所のない語に感じられるそうです。日本語学習者が習得するのに苦労する場所だとか。*3
エマちゃんがアイドル像に求めた「ぽかぽか」もその一つですね。不勉強ながら、「ぽかぽか」に直に該当する語はイタリア語にもないと思うのですが、そんなニュアンスを掴みづらい言葉をわざわざ選ぶなんて本当に通なんだなあ。I see that she's a lady of culture, as well.
前回の記事でも述べましたけれども、言葉とは不思議なもので、おもいを表すための最適な道具とは言い難い面があるのですよね。どう紡いでも、心の内を過不足なく表現することはできません。それどころか、重ねれば重ねるほど遠ざかってしまうことさえあります。*4 そんな中で、まさに「これだ!」という語を捕まえられると、砂の中に宝石を見つけたようで嬉しくなりますよね。
「心温まる」等では多分ダメなのでしょう。エマちゃんにとって、その状態(をつくること)はもちろんのこと、「ぽかぽか」という言葉そのものも、とびっきりの宝石なんだと思うんですよ。
しかもその感覚を最初に経験したのが小さい頃だというのなら、(母語にありませんから)言語化できない状態でもずっと温め続けていたことになります。日本語を覚えだして、自らのアイドル像のために誂えたような、そんな言葉に出会えたとき、エマちゃんは何を思ったでしょうね。
言語化は望みを叶える第一歩です。やりたいことに言葉がパチリとはまったそのとき、彼女の夢は大きく前進したんじゃないかと私は想像します。
前置きが長くなりすぎました。この分量なら本放送の日本語感想記事で語る内容でしたね。
さて、エマちゃんが大事にしている「ぽかぽか」。この言葉はただ温かいだけではなく、芯の方まで温まる感じと、少し弛緩した雰囲気とでも言いましょうか、副交感神経優位なリラックスした状態を表すように思います。温かさでこわばりがほぐされる感じかな。その結果として、あるいは同時にかもしれませんが、幸福さもイメージされますね。心に対して使われる場合は特に。
あとは、なんと言っても語感がいい! 半濁音を繰り返すそのやわらかさが好きです。エマちゃんもそう思ってるんじゃないかなと勝手に想像していますが、はたしてどうでしょうね。
彼女がこの語にこだわっている以上、英訳もただの warm では済ませないのだろうなと予想していましたが、やはり考えられていましたね。どの訳も "(feel) all warm and fuzzy inside" で統一されていました。説明調になるため、一語で済む日本語に比べれば冗長感は否めませんけど、でもいいなあ。
手持ちの辞書では成句として載っていなかったのですが、これは決まった表現みたいです。
1. Definition (expr.) feel happy, have feelings of sweetness and love, have a warm heart
(What does "feel all warm and fuzzy inside" mean? | Learn English at English, baby!)
しあわせで、愛や優しさを感じる、心温まる。
少しわかりづらいと感じたのが fuzzy でしょうか。「曖昧な」などと訳される*5 形容詞ですね。語義を眺めるに、諸々の境目がはっきりしていない様を言うのかな。ピシッと "してなさ" 。ここでは、私の言う「弛緩した雰囲気」に近いものがあるんじゃないかと思いました。
そうですね。私は「リラックスした」とも述べましたが――これをたとえば "warm and relaxed" としてしまうと、なんだかエマちゃんが言っているのとは違って聞こえるのが不思議です。言葉って難しい。やっぱりこの場合には fuzzy が適切なんでしょう。
でも、濁音なんですよね。オノマトペにおいて、濁音は重い様や大きい様、勢いのよさを表わすことが多いのです。半濁音は、清音ほどのしずかさはなくても、濁音よりは明らかに軽い感じ。この日本語の感覚を外国語に当てはめようとするのが詮無きことだと分かっていても、それでもやっぱり、元の「ぽかぽか」とは違う印象に思えてしまいます。そこだけが残念で。
Our dreams
I'm sure our dreams are waiting / きっとこの場所で
For us right here / 夢が待ってる
さて、「La Bella Patria」の出だしが "our dreams" を歌っていることを確認したので、第 5 話は終了になります。
*1:虹ヶ咲学園なら海外向けに英語の正式名称くらい持ってそうですけど、どうなんでしょう。正式名称があったとしても、普段は一般的な呼び名で代用して構わないので、これだけでは判断できないんですよね。
*2:よくこうした考察もどきをこねくり回していますが、語られていない部分をどこまで読んでいいものか、いつも悩みます。言い切れるほどの英語の知識を私は持ち合わせていませんから、ここでは説得力に乏しいですね。妄想とか希望的観測の類かなあ。またそれとは別の話で、日本語の方で述べた感想との違いに触れていないのも、我ながらまずい点に思います。
*3:たとえば「地表の細長いくぼみに沿って流れる水の上を、特定の中国原産バラ科落葉小高木のとても大きな果実が、漂いながら移動する様子」を表すときにのみ使われる擬態語、などという極めて限定的なモノもありますしね! まあ、「どんぶらこ」は定番ネタなので捨て置くにしても、本当に日本語がすごい(?)のは、音のない状態を表わす「しん(しーん)」という擬態語まであるところだと思っています。
*4:ご存知のように、このブログでも私はいつも苦戦しています。
*5:そういえば昔、家電の機能として謳うのが流行っていたような、と思って調べたら、1990 年の新語だそうで……。えー、私は 16 歳 "ということになってます" から、生まれるずっと前ですね!