叫びたいほどのおもい <ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 第 3 話 「大好きを叫ぶ」感想>
メガネを外して髪をほどき、菜々ちゃんからせつ菜に変わるシーンはカッコ良かったー。彼女の大好きのおもいが詰まったお話でしたね。
物語は予定調和的に
2 話までに断片的に見えていた続きから、お話は始まります。
自分に幻滅する
大好きを求めて始めたはずのスクールアイドルで、仲間と求める方向性の違いから衝突が起き、そこで初めて自分が人の大好きを否定していたことに気づくせつ菜。自分のエゴが、実は人を傷つけるものだったと知った彼女のショックは計り知れません。
せつ菜さんの大好きは、自分本位のワガママに過ぎませんでした
でもそこで話し合いも持たずに、ひとり辞めることを決めて、何も言わず消えるのは短慮が過ぎるかなとは思いましたが……。彼女の場合、基本的に能力が高くてひとりでなんでも出来てしまうがために、自分だけで判断してさっと動いてしまうキライがあるようなんですよね。(そういえば生徒会の仕事も彼女が動いてました。*1)
まあ、まだ 16 歳の女の子です。あまり多くを求め過ぎるのも良くないですね。生徒会長として後からフォローを入れようとしていたフシもありましたし。
戻って来て欲しい
諦めてしまった彼女に、戻ってきて欲しいと告げる侑ちゃん。ラブライブなんて出なくていい
はかなりインパクトのあるセリフでしたね。
歌が聞ければそれで十分だと言う侑ちゃんの言葉に揺れるせつ菜。せつ菜としての幕を閉じるためのライブを見て、そこで熱いおもいを受け取った侑ちゃんが、今度はそれを本人に返す形になっているのは良いですよねー。
身近に熱いファンが居てくれるのは嬉しいものです。
期待されるのは嫌いじゃありません。
同好会の方向性はこれから考えていかなくちゃいけませんけど、これでせつ菜が戻ってきて、めでたしめでたし。
――と、思ったんですよ。思ったんです。
え、ここでそれ??
ですが、本当にいいんですか。
私の本当のワガママを、大好きを貫いてもいいんですか。
へ? 「本当の」ワガママ?
突然、冷水を浴びせられたようになりました。なんだか最後の最後でとんでもない単語が出てきたような気がします。
今まで散々、同好会を立ち上げたけどその大好きは自分本位のワガママだっただの、自分だけが消えて新しい同好会が生まれるのが最後のワガママだの言ってましたが、それは心からの我儘ではなかったんでしょうか。
なんとなくで見ていたお話を、慌てて頭から見返しちゃいましたよ。
菜々とせつ菜
まず確認したのは「二人」のヒトトナリです。菜々ちゃんの方はさほど問題ないと思うのですが――。
どんな子だったっけ
菜々ちゃんは優等生で、いわば良い子ちゃんですよね。一方、大好きを表現するために自分のワガママで作り出したという「せつ菜」ってどういう子なんでしょう。
ここまでのところアニメで出ていたのは、ほとんど菜々ちゃんとしてばかりでしたね。せつ菜がせつ菜としてそのまま描かれているのは、かすみんと口論になるシーンくらいでしょうか。1 話でのライブシーンの前後も、あれだけではよく分かりませんでしたし。
私はスクスタもまだ途中までしか進めてませんし、他媒体もちゃんと拾えているとは言い難いのですが、例の口論のシーンを見てなんとなく違和感は覚えてました。せつ菜ってこんな感じだったっけ?
まあ、アニメでは私が他で知っているせつ菜とはまた違う可能性もあるんですけど、じゃあここまでで描かれていた菜々ちゃんから想像しうるせつ菜って、こんなかなあって。
何を焦っているの
何かしらのプレッシャーを感じていて、妙な焦りがあるようだとは思いました。そのせいで自分の目指すところしか考えられておらず、周りが見えないから、自分のエゴを人に押し付ける結果になったのだろうとは。だったら、そのプレッシャーらしきものはどこから来てるんでしょうね。
いえ、まずそれ以前に、なぜせつ菜がラブライブを目指そうとしたかですよ。大好きを表現したくてスクールアイドル活動を始めた彼女が、ソロで人気を得て、多分それなりに成功していたと思えるのに、なぜ仲間を集めてグループを結成しようとしたのか。どうして心変わりをしたんでしょう。
元々グループで活動をしたかった、ラブライブに出たかった、というのなら、彼女は最初からその方向で動いてたと思うんです。ソロから始めて〜などとは考えず、初手から同好会を立ち上げていたはず。それくらいの熱量と行動力はあるんですから。
「期待されるのは嫌いじゃなかった」
これは想像ですが、ソロで活動していた時にファンの期待が聞こえてきたんだと思います。「ラブライブには出ないのかな?」とか「グループで出たらいいのに」とかそんな感じかなあ。
これはラブライブがソロで参加できない前提での想像なので、もしそれが可能なら話は変わりますが、それでも問題の本質は一緒だと思います。何か理由があってグループを作ることになったのは置いておくとして、「じゃあソロとはまた違ったすごいパフォーマンスが見られそうだね」とか、そんな感じのファンの期待が聞こえてきた。
あなたもせつ菜さんのファンなら、そこ(ラブライブ)に出てほしいと思うでしょう?
全国のスクールアイドルたちがそのパフォーマンスを競い合うラブライブは、確かに最高のステージです。スクールアイドルをやるからには、それを目指すのはいたって普通のことでしょうし、ファンたちも応援するアイドルがそのステージに立つことを当然望むでしょう。
せつ菜がラブライブを目指すようになった。それは結構なことだと思うのですが――。
それが自らそう思ったのではなく、期待されたからそれに応えるためだったら?
今やっていること、やろうとしていることに対して周りの期待がかかるのは、嬉しいこと。ありがたいことだと思います。それに応えようとするのも悪いことではない。しかし、期待には応えなくてはと思ってしまい、それが行動原理になるようだと話は違ってくるように思います。
成果を出さなくてはという考えに縛られてしまいますものね。ある種の呪いみたいなものでしょうか。そしてそれが彼女にプレッシャーをかけ、件の口論に至ったのかなと想像しました。
それはやりたかったこと?
一つくらい自分の大好きなこともやってみたかった。
詳しくは描写されていませんけど、そもそも菜々ちゃんは、親や周りの人たちの期待に応えるだけしかない自分が嫌で、ワガママを始めたんじゃないんでしょうか。自分の大好きなことを始めるためにせつ菜になったはずです。
それがその先でも結局、他の人からの期待に応えることをまず考えてしまうようでは本末転倒ではないでしょうか。しかも悲しいことに、本人はハッキリとは自覚していなさそうに見えました。
期待された。じゃあ応えなきゃ。
真面目すぎるんですよ。自分がやりたくてやっていることなんだから、そこそこで聞いておけばいいのに、本当に不器用。彼女は菜々からせつ菜に変わったようでいて、やっぱり良い子ちゃんの菜々のままだったんだと思います。
それでその挙げ句、成果を出そうとして自分自身を否定するような結果になったのでは、いたたまれませんよね。
あらら、私が最初思っていた以上に複雑な状況だったようです。
応えなくていい
周りの人間っていうのは結構勝手で、こうなって欲しいという期待を次々押し付けてくるものです。それにちゃんと応えようとするのも、せつ菜のいいところだとは思うのですが……。
だったら、ラブライブなんて出なくていい!
そのせいであなたが幸せになれないのは嫌だと、侑ちゃんは言うのですよ。だったら、周りの期待になんて応えなくていいと。
ま、実際せつ菜の事情は侑ちゃんからは見えてないはずなので、本当にそういう意味で言ったのかは定かではありませんが、少なくともせつ菜はそう捉えたようですね。
あなたみたいな人は初めてです。
あなたのやりたいようにやって欲しいと、ただ願うファンは居るとは思いますが、わざわざ伝える人は少数でしょうね。心からあなたのことを考えてくれて、本当にやりたいように大好きを貫いていいと、そう言ってくれる人は貴重だと思います。
これでせつ菜の意識が切り替わりました。
大好きを叫ぶ
ところで、1 話の歩夢のステージは侑ちゃんへの告白みたいなものでした。2 話でのかすみんはできることを侑先輩に見てほしかった。両者とも我らが主人公へ向けたショーです。それに対してせつ菜は侑さんに向けては歌わないんですよね。
それどころか、校舎の屋上という素敵なステージではあっても、歌い出しの時点では観客は 0 で、まず誰かに向けて歌っているわけではない。大喝采をもらう結果にはなりましたけど、多分せつ菜は観客をそれほど意識してなかったんじゃないかなあ。
歌は、ライブは、おもいを伝えるものだと思います。伝えるというのは相手があってのもの。ですがその相手が居なかったとしても、おもいがあまりにも強く大きくなって、自分の中から溢れそうになったら――。
誰かに聞いてもらおうなどと考える前に、思わず叫びだしてしまいませんか。我慢しようと思ってもそれができない。大声をあげずには居られない。何かを叫ぶって、多分そういうことですよね。
スクールアイドルはファンありきだとは思いますが、せつ菜にとってはそれより先にまず叫びたくなるくらいの大好きがある。そしてそれを真に表現したいと思えるようになったのでしょう。
これは始まりの歌です!
1 話のライブの時とは違い、歌に臨む前の嬉しそうな姿と、終えた後のやり切った顔。まず自分の大好きのために歌ったこの歌は、とてもカッコイイ、始まりの歌でした。彼女は本当の意味で「せつ菜」になれたんじゃないでしょうか。
*1:N=2 なので判断するのはちょっと早計ですが。