もう一人の「あなた」 <ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2期 第4話「アイ Love Triangle」感想>

今回の感想は次の一言に尽きます。もうこれだけで筆を置いてもいいくらいで。

愛さんにも人間らしいところがあったと知れて、正直安心しました!(たいそう失礼)

これは、宮下愛の物語

愛さんは楽しむことの達人ですよね。何にだって興味を示すし、実際にやってみて面白がる。いつも楽しそうで私なんかが見ているとホント眩しいくらいです。

器用だから何事もうまくこなせて、だから楽しく感じられるのでしょうか。いえ、好きこそものの上手なれと言います。楽しいって思えるから熱中するし、熱中するからすぐに上達して、色々なスキルが身についてってるんじゃないかな。

幼少期にはアクティブさがなく、手を引かれるばかりだったという愛さん。お姉ちゃんには新しい世界に踏み出していく楽しさをいっぱい教えてもらったのでしょう。その小さい頃の経験のおかげで、やってみたら何だって楽しいということを知って、それを繰り返して大きくなってきたようですね。とても良い循環だと思います。楽しいの天才の原点でしょうか。

さて、愛さんは美里さんを元気づけるため外に連れ出そうとしていましたが、これは彼女にとっては当たり前の仕草ですよね。楽しいことはいつだって楽しいし、それで気分が上がれば物事が好転する。非常にわかりやすい理屈です。

ただ、そういったことを自然とできてしまう人は、何らかの理由でうまくできない人の気持を汲みづらいのが欠点と言えるのかもしれません。美里さんには愛さんの理屈が通用しないんですよねえ。

愛さんがそれを知って愕然とし、あげく全てを投げ出そうとしたときには――再度ホントーに失礼ながら、可愛らしいと思ってしまったことをここに告白します……。責めは甘受いたします、はい。

果林さんの言うとおり「誰も傷つけない」なんてできないんですよね。それでもやりたいなら、覚悟を決めて前に進まなくちゃいけません。

自分が楽しめるからでやるのと、人を傷つけるかもしれないと知りながらそれでも進むのとでは、やっていることは同じようでも中身が全然違います。明確な目的意識が生まれるし、責任も感じるようになります。それが覚悟を決めるということ、なのかな。

だから愛さんの口上はとても格好よかったなと思います。

笑顔になる覚悟は決まった?

時には楽しむことや笑顔になることにだって覚悟は必要です。自然体で楽しめる人たちは素直にそれを享受すればいいだけなのですが、簡単にできない人もいます。できない時もあります。

そういった人たちにも前に進む勇気をあげたい、楽しさを伝えたいと願ってステージに立つなら、それは愛さんの大した覚悟だなと思うのです。

これは、朝香果林の物語

果林さんの物語と言うには無理がありますか。果林さんの葛藤が描かれていたわけでも、劇中の出来事で果林さんの何かが変わったわけでもありませんものね。*1 でも彼女が同好会に入るくだりから今回までをひとまずひと続きの物語と見ると、本エピソードではちょっとした「結」の部分を楽しませてもらえているような気がしました。

元来、果林さんは積極的に人に干渉しに行くタイプではなかったはずです。

親友のためなら旧同好会が潰された事情を探りに行くくらいはするし(1 期第 2 話、3 話)、たまたま出会った後輩が見当違いの方面で悩んでそうならアドバイスを入れてもいました(同 2 話の歩夢)。聡明だし、面倒見が悪いわけでもないんですよね。でもせいぜいがその程度。

例えば辞めると言っていたせつ菜(同 3 話)や、岩戸に隠れてしまった璃奈ちゃん(同 6 話)については、アクションを起こさない方向で意見を表明していたはずです。本人がそれでいいと言っている(言い張っている)ことには関わらないようにしているフシが見受けられたように思います。

ところがアニメも 2 期に入って、エマちゃんが嵐珠を誘いに行く場面(第 2 話)では、そこに果林さんも付き添っているのを見て、おや、と思ったんですよ。嵐珠は同好会とは別路線で行くとキッパリ告げていたはずです。付き添いとはいえ、意見を変えさせるような誘いをしに行くのかと。まあその時はエマちゃんの動向が気にかかっていたので考えを捨ておいたのですが、今回やっぱり出てきましたね。

今回のエピソードは愛さん美里さんが二軸でお話の主題となってますけど、その二人の間に果林さんが据えられることで一つの物語として仕上がっているように思います。そのスタートこそが美里さんに向けて言ったセリフ、「そんなふうに無理して笑う必要ないんじゃないですか」です。

美里さんが仲間の大切な人であることを考慮しても、以前の果林さんなら掛けなさそうな言葉に思えるんです。明らかに困っていそうでも、本人が平静を装おうとするならあえて踏みこまなかったんじゃないかなあと。それほど親しい相手ではありませんから。でもそこを突っつきにいったことで物語が動き始めました。

これって、人に極力関わらないでおこうとする性質が変わってきているってことなんでしょうね。エマちゃんにおせっかいを焼かれて自分の殻を破ったことや、同好会に所属してお人好しばかりの皆と一緒に過ごす時間が彼女に影響を及ぼしているのだろうと、そう想像するんです。いい刺激を受けているんでしょうね。

以前が悪いと言うつもりはありません。それでもきっと、これは好ましい変化です。果林さんはより魅力的で素敵な人になったと言いたい。上でも述べたように、もともと聡明だし面倒見も悪くないのですよ。その良さがさらに生きるようになったのですもの。

またこちらは深く言及しませんが、辞めると言い出した愛さんを挑発したのもやり方が上手かったですよねえ。

これらは、ここまでの果林さんの物語の「その後」。「結」なんだと思います。そして、それが今回全体をまとめるカスガイとしてはたらいていました。十分に堪能させてもらいましたよ。

これは、川本美里の物語

愛さんの話では、美里さんは病床にあった時には気丈に振る舞っていたと。少なくとも傍目に悩んでいるような素振りはなかったようですね。それだけ強い女性なのでしょう。なのに快癒した頃から塞ぎ込み出したというのは、彼女が失った時間の大きさが知れるようで、なかなかに心が痛いです。

ちらっと描かれていましたが、療養中にだって夢ややりたいことはあったはずなんですよね。でも病気を治すという真っ先に片付けなくちゃいけないことが目の前にありました。だからまずは治療に専念する。(闘病の大変さはまた別の話として、)こういった分かりやすい「やるべきこと」があると、自分の時間だけが止まっていることに対する複雑な思いは、ひとまず棚上げしておけるんじゃないかと思うんです。

で、いざ好きに生きられるようになってみると。自分が手を引いていたはずの "妹" が、ずっと先に進んでいるのに気づいたわけですね。自分が立ち止まったままだったことを、まざまざと思い知らされた。

話を聞いていただけの頃は、愛ちゃんの活動をどこか遠くのことだと感じていたんでしょうか。それが励みとなっていたようですが、自分も動けるようになったばかりに、今度は嫌でも比較対象にしてしまうんでしょうね。自分にもあったはずの時間がもう手に入らない、と。

失った時間に関しては、美里さんのセリフの中にいくつか気になるものがあります。愛ちゃんに呼び出された場所でこんなことを言っていました。

美里
懐かしいね。ここ、小さい頃よく一緒に――

小さい頃に一緒に遊んだ場所なら、そこはお家からかなり近いトコなんでしょう。つまり本来は生活圏だと思うのですが、そんな普段を過ごす場所の思い出話なんてどうでしょう。普通、唐突には出てこないんじゃないかと思うんですが。真っ先に子供の頃が出てくるというのは、そんな昔から現在までがすっぽり抜け落ちているからなんだろうなあ、とか。

もっと引っかかったのは「すごい」です。彼女は愛さん(と果林さん)を三度褒めているのですが、全部「すごい」としか評してないんですよ。

「すごい」は並外れているさまを表すだけの言葉です。それ単体で褒め言葉とするにはちょっと貧弱じゃないかと思うんですよねえ。*2 主に自虐で使う「小並感」なんて言葉がありますけれども、それが頭をよぎりました。

一応「歌って、踊って、たくさんの人を笑顔にして」とも添えていましたが、これも結果を述べてるに過ぎません。本当に賞賛感心すべきは、愛さんがそこに至った過程のほうじゃないかな。だって自分の目でその途中経過を見てはなくても、話には聞いているのでしょう? なのに中身に一切触れないから、褒めているはずの言葉が薄っぺらく聞こえるんです。

成し得るまでの努力を見ようともせずに「すごい」と叫ぶだけなのは、ずうっと身近にいたにしては寂しいなあって。

しかしこの、すごい妹の努力へ思いが至らないのも、仕方ない面があるのでしょう。一般に人は子供の頃から自分のやりたい事を見つけ、一つひとつ試してみて、失敗したり成功したりと経験を積んでいきます。それが大人へと成長していくってことだと思うのですが、彼女はその機会をまるっと奪われているんですよね。経験してこれなかった。そのせいで現在の愛ちゃんの後ろにあるものが見えないんだろうなあ。

美里さんには小さい子供のままな部分がごっそり残っていそうです。だから、もうあなたは自由ですよと急に放り出されても、歩きだす方向さえわからない。

なんだか容易に想像できる気がしますね。キラッキラ輝く娘が隣にいたりしたときには特に。光が強いと、さす影もより濃くなるんですよねえ。

さて、そんな美里さんですが、愛さんが直接手を引こうとしたときにはその手を取ることができず、Diver Diva のステージを見てやっと歩きだす勇気が生まれます。ここではアイドルの持つ力が大きいのはもちろんのこと、デュオのパートナー果林さんの存在が必要なところにも話の面白さがあるように感じました。

結局のところ、愛ちゃんしか目に入ってなかったから、嫉妬が勝ってしまってたんじゃないかと思うんですよ。施しなどと言うとちょっと言葉が強いかもしれませんが、私が持っていない全てを備えた存在から手を差し伸べられても……って面はあるんじゃないでしょうか。本当は自分が手を引いていたはずの相手ですし。

くわえて、差し出された手を "無邪気に" 取るだなんてできるものじゃないでしょうしね。どこかへ連れて行かれても、そこは与えられた目的地でしかないのですから。それで喜ぶのは、これから自我を形成していく本当にちっちゃい子くらいのものでしょう。

自分がやりたいと思えることでなければ意義がありません。「楽しいって気持ちもわかんなくなっちゃった」とは、向かいたい場所を見失ってるからなのでしょう。

主体性を持たないことには始まらない。楽しさを感じる前段階として、自分がどうありたいかのビジョンが必要でした。「海外で働きたい」は長期目標としてけっして悪いわけじゃないのですが、遠過ぎて道のりがぼやけてしまうんですよね。もっと身近に感じられるものが欲しい。

そこで DD のライブだったんですね。これもステージに立っているのが愛さんだけだったら、羨ましいで終わってしまいかねませんが、そこに果林さんがいることで全く別の見方ができるようになりました。

果林さんは素晴らしいロールモデルでしたね。愛ちゃんと並んで競い合える存在。そんなポジションがあることに気づけたのは、美里さんにとって大きな変化だったはずです。

直接誰かと比べてどうこう考えるだけでは不幸になるばかりですよ。そうではなく、相手がいることで自分が頑張れて、自分が頑張ることで相手もより高みに上れる、そんな関係が好ましい。愛さんはもう手を引いたり引かれたりする相手じゃないんですよね。その結論に至れる彼女は、やっぱり強い人だなって思います。

アニメ「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2 期」第 4 話より

これは、Diver Diva の物語

しまった。ここまでで結構述べちゃいましたね。

愛さんがカリンに提案した競い合う形のユニットはこれまた素晴らしかったですね。彼女らのパフォーマンスには競演という言葉がぴったりです。張り合うことでお互いをより高く押し上げ、結果としてその力の拮抗する様子には素敵の一言。心を鷲掴みにされました!

その美しく緊張した世界は、一人ひとりが力を示しているだけでは決して作り出せないものなのでしょう。負けず嫌いな二人がキレイに噛み合うって、やっぱり相手に対する信頼がベースにあるのかな。いいデュオですね。

直前の QU4RTZ が調和によって良さを引き出すグループだっただけに、対比が際立っていて、その意味でもワクワクさせられました。この後に続く A・ZU・NA がどう魅せてくれるのかもますます楽しみになってきます。

これは、「あなた」と叶える物語

さて、最後に一つ。

私は今回のお話を美里さんの物語としても読みました。これってちょっとした異物感がありませんか。ラブライブ!はスクールアイドルたちが輝くお話なのに、アイドルとは違うところにフォーカスが当たってますものね。

しかし「虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」の謳い文句は「あなたと叶える物語」です。

ゲーム「スクスタ」では、プレイヤー「あなた」はファンやサポーターの立場でアイドルたちと関わっていきますよね。それはアニメとなった当作品でも同様です。「あなた」が具体的な姿形と声を持つこととなった侑ちゃんは、アイドルたちとははっきり一線を画して描かれています。

公式 HP には「12人と1人の少女たちが紡ぐ」と書かれていました。これは言い換えれば「アイドルとファンの物語」のこと。つまりアニガサキは二者の関わりを描くものなんですよね。

今、主人公には侑ちゃんが置かれてますが、彼女が物語に参加しているのは私たちファンを代表してです。言うならば一例でしかなく、「侑ちゃん」とはまた別の可能性だってそこにはあったはずです。

他の人物がその場所に立てば、きっとまた違う物語が紡がれることでしょう。アニガサキで中心となって描かれる侑ちゃんと同好会のお話は、無数にある「あなた」の物語のうちの一つ。

ええ、もちろん美里さんだって、その「あなた」の一人ってことです。

「スクールアイドルがいて、ファンがいる。それでいいんじゃない?」とはまさに侑ちゃんのセリフ(1 期第 3 話)でしたね。

今回のエピソードは、一人のアイドルと一人のファンという最小単位の交流を見せてくれました。アイドルは一皮むけて一層輝きを増し、ファンは勇気を持って歩き出せる。こぢんまりとはしていても、いかにもアニガサキらしい物語じゃないかなと、そんなことを思った第 4 話でした。

*1:強いていうなら、ユニットという新しい形を試したくらいですね。しかし、これはもともとの考え方に合致する提案を受けて乗っただけです。彼女の何かが大きく変化したとは言い難いでしょう。

*2:えー、なんと言いますか。この指摘は語彙力のない私にもキレイに跳ね返ってきますので、全くもって気が乗らなかったのですが……。だくだく血を流しながら書いてます。致命傷で済めば良いなあ……。