小さい体に詰まったおもい <ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 第 6 話 「笑顔のカタチ(⸝⸝>▿<⸝⸝)」感想>

璃奈ちゃんが弱点を克服しようと一生懸命頑張ってましたね。 あの小さい体に、これまで外に出てこなかったおもいが、どれほど詰まっていたのでしょう。言葉少なでも必死に変わろうと努力する姿に心を打たれ、素直に応援したくなるお話でした。

変わろうとする勇気

璃奈ちゃんは、表情が出ないことで失敗ばかりしてきたと言います。確かに、どう思っているか、何を考えているかが判りづらいのは、コミュニケーションを取る上で難点になるのかもしれません。本人が言っていたように、たとえば皆で楽しくやっているところに、一見怒ってる見える人間が混じっていると場は白けかねないのですが――。

「昔から」とのことですけど、この問題の根本はむしろ昔だったからですよね。小さい頃だから、友だちに心ないことを言われたとか、そのような態度を取られたとか。子供は残酷です。深く考えずに思ったことをそのまま言ったりします。たとえ悪気はなかったとしても言われた方は傷つくわけで、それでコミュニケーションを取ることに臆病になった。一度苦手意識がついてしまうと、物事は余計にうまくいかなくなるものです。話しかけようとするたびに、言いたい事が伝わらないかもと考えてしまうのは辛い。

それでも高校に入ったのを機に変わりたいと、冒頭、クラスメイトに声を掛けた璃奈ちゃんはエライですね。少し上擦った あの の声に、思わず手をぐっと握りしめてしまいました。

出典:アニメ「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」第6話

でも続きが出てこなくて、何でもない と引く結果になっちゃったのはキツかった。今までにも勇気を出したことはあったんでしょうけど、いつもこうして話しかけては諦めてきたんでしょうか。声のトーンの落差が……。

変われた

今からでも変われるんだ!

それが愛さんに出会えて、同好会という場も得て、人と繋がることができた。もっとたくさんの人たちと繋がりたいと目標も立てて、やれることも少しずつ増えてきた。

出典:アニメ「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」第6話

今回は出来ないからやらないはなし。

ここでの「今回は」って重みのある言葉ですね。今までは出来なくてそこで諦めていたけど、ってことですもの。そう、冒頭のシーンみたいに。でも今度こそは違う。きっと変わってみせる。そんな強い意志が感じられます。

人は変わろうと思ってもなかなか変われないものです。苦手なものはやっぱり遠ざけようとしちゃいますし、やらずに済むのならそっちのほうがいい。実際 MC はなくても、彼女の目的である「繋がる」は達成できるはずなんですが、あえて挑戦しようとするのはカッコイイなあ。ここで妥協しないがんばり屋さんだから、応援したくなるんですよね。

ちゃんと変われているのに

成長を実感し、自信がついてきた璃奈ちゃんは、今の私なら とクラスメイトに声をかけようとするのですが――。

出典:アニメ「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」第6話

何でもない。

ガラスに映る自分の姿に、結局変われていなかった事実を突き付けられた璃奈ちゃん。意気込みを持って頑張っていたというのに、ここでまた「何でもない」ですよ……。諦めの言葉にはこちらの胸まで締め付けられます……。

でも変わっていないのは表情が出てくれてないことだけなんです。あんなに意欲的に取り組んでたんですもの、側で応援している目には、十分に変わっているのが見て取れます。

もし問題があるとしたら本人の意識の持ちようだけなんですけどね。鏡は外見しか映してくれないから、璃奈ちゃんの場合、それで冷静に自分を評価するのは難しいでしょう。いい調子で行けてたはずなのに、タイミングが悪かった。

多分抜け落ちていた意識

さて、璃奈ちゃんは当初から人と繋がりたいと願ってましたが、自分がどう発信するかということばかりに気を取られすぎていて、「受信側の態度がどうなのか」という意識が抜け落ちているように思いました。発する言葉に自分の表情がついて来なくて、それが原因でコミュニケーション障害が起こっていた(過去形ですよ)以上は仕方のないことかも知れません。

でも、繋がるって双方あってのものですものね。こちらが伝えたいと思うのと同時に、向こうだってそのおもいを受け取りたいと思ってくれます。子供時代ならいざ知らず、もう高校生なんです。相手は尊重するようになりますし、事情があって本人が気にしているのなら慮ってもくれます。たとえ表情に乏しくたって、言葉で表せばちゃんと受け取ってくれるはず。事実、同好会のメンバーとは普通にやりとりができていました。*1 *2

出典:アニメ「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」第6話

ありがとう。璃奈ちゃんの気持ち、教えてくれて。

私、璃奈ちゃんのライブ見たいな。

侑ちゃんのこのセリフは、相手だってこちらのおもいを受け取りたいと思っている、そのことを認識するのに十分だったんじゃないかと思うんです。だから「相手は分かってくれるのだから後は自分が自信を持てるかどうか」だけが、問題だと理解できたでしょうが――。

胸が苦しくなってしまうというのでは困りますね。体が拒否するのって、少なくとも現状ではどうにもできないですもの。

それを回避する手段として、ボードはとてもいい解決策だと思います。表情の出てくれない顔が原因なら、それさえ表に出さなければ体は動いてくれます。ついでに出したかった表情を肩代わりさせるなんて洒落てますよね。*3

解決したのか

さて問題は、これで決着としてしまっていいのかという話ですよね。顔を見せないのは、結局本質から逃げているだけじゃないかという指摘は、至極まっとうに思えます。

でも私は、このお話の結論は、これでいいんじゃないかなあと。そう思うんですよね。

璃奈ちゃんが始終考えていたのは、おもいを伝えたい、人と繋がりたいということです。少なくとも今の段階では、表情を出したいとか、素顔で表現したいとは言ってなかったはず。根本が自分の表情にあるのですから、もしそこがクリアできるのなら、それに越したことはないでしょう。ですが今回の目的はその先にあります。なら表情云々は迂回しちゃってもいいんじゃないでしょうか。

出来ないことは、出来ることでカバーすればいいってね。

いつかまた、笑顔を見せたいといったような願望が出てくるのかもしれません。でもそれはまた別のお話になるはずですよね。それに今のままだって璃奈ちゃんの個性の一つだと思います。いいじゃないですか。

そして「伝える」に関してですが、今の璃奈ちゃんは(表情が付いてこなくても)伝えようとすれば相手に届くことは知ってるはずです。ただ体が動いてくれないから、ボードはそのいい回避方法だという話でしたね。

これから彼女に必要なるのは、話しかけて大丈夫だと思える自信だと思うんです。だからいかにしてそれを養うかが重要になるのかな。

ボードを通してだったらスムーズに気持ちが出せるのであれば、それをリハビリとするのは悪くないと思うんですよ。自転車の補助輪のようなもので、話す感覚をつかんだらそのうち外すもの。彼女もそれは分かってるはず。

もしボードにおんぶ抱っこで、逃げに走って手放せなくなるようなら問題だとは思いますが……。

私たちは、彼女が自分の弱点を克服したいとずっと願い、一生懸命努力してきているのを知っています。だからそんな残念な結果にはなりませんよね。そう遠くない将来、ボードを手放している璃奈ちゃんが居るはずです。

出典:アニメ「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」第6話

作りものではなく増幅したもの

あれは本当の私じゃないから。

もう一つ気になるのがこのセリフです。

璃奈ちゃんは PV をキャラに頼ってしまったと言ってました。アバターでも十分に自分を表現出来てましたけど、それでアイドルだと主張するのは確かにちょっと無理があるかな。何より本人が望む形じゃないですし。

じゃあライブを生身でパフォーマンスするのはいいけれど。

そこで顔を隠して電子ボードを使うのを是としていいのかという話です。電子データという意味ではアバターと同じようなものなのに、ボードの顔は「本当の私」と言えるんでしょうか。

……と最初引っ掛かったんです。でも歌う姿を見ていて、やっぱりアリだなと考えを改めました。

アイドルは歌って踊って自分を表現します。でもそのライブは生身の体一つで作り上げるわけではありません。色んなものの力を借りていますね。衣装だとか、音楽だとか、ライト等の舞台演出だとか、バックモニターに流す映像だとかも。

そして歌。歌は自前ですけど、声って厳密には生のままとは言えませんよね。観客が聞いている歌声は、マイクで拾ってスピーカーから出てるもののはずです。普通は生声ではない。人が出せる声では小さすぎるから、機械を使って増幅しているわけです。それでもちゃんと生歌です。

出典:アニメ「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」第6話

ふむ。屁理屈かもしれませんけど、声を増幅して届けてもいいのなら、表情だって機械を使って増幅していいんじゃありません?

璃奈ちゃんには出にくいだけで表情はちゃんとあります。観客からそれが見づらいというなら、見えるように大きくしてやっても構わないでしょう。再度屁理屈ですけど、広い会場だと後ろからも姿がよく見えるように、バックモニターに映したりしますよね。それと一緒ですよ。

届くように大きくしただけで、その表情は「本当の私」には違いないんだろうなと思った次第です。

記号的な顔とその下の顔

あと、いいなと思うのが、ボードのドットが荒くて、見たものに想像の余地を残してくれるところです。

多分璃奈ちゃんなら、自分の顔を取り込んで、色々な表情を精細にボードに映すくらいは出来てもおかしくないと思うんですよね。自然な感じに表情間を繋げたりとかもできそうです。ですがそうして予め準備した、イメージの固まった顔は何だか求めているものと違うような気がします。作ったものが具体性を帯びてくると、逆に「本当の私」からは遠ざかっていくように思えるのかな。作り物さが増す?

だからかどうかは分かりませんが、ボードに出てくるのは何の表情なのかが分かるだけの最低限のイメージです。

出典:アニメ「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」第6話

見た観客はその下を想像します。笑ったり、おどけた感じだったり、真面目だったり、色んな表情の璃奈ちゃんを「見る」ことができますね。*4 多分それが彼女が心で浮かべている表情なんじゃないかなと思うんですよ。上で示したような予め用意して貼り付けた顔じゃなくて、ね。

ライブ中に口元が映ったとき、口角が上がっているのが見えました。この解釈は悩むところで、実際に少し笑えるようになってる、もしくは近い将来そうなることの暗示、でもいいと思うんです。ですがそれよりも、彼女が心のなかで微笑んでいるのを、我々観客が想像で見た、なんて解釈も面白くありませんか。もしそうなら、それは今の璃奈ちゃんにできる精一杯がこちらに伝わって来たってことなのかもなあと。そんなことをぼんやり思った第 6 話でした。

出典:アニメ「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」第6話

*1:喋ろうとするとみんな傾聴するんだけど、璃奈ちゃん気づいてるかな。

*2:初見で表情を読み取れてた愛さんだけはさすがに特殊だと思いますけどね。笑

*3:これまで(他媒体での)ボードは「顔を隠すもの」としての認識が強かったように思います。スクスタで外すエピソードが来るまで、璃奈ちゃんが一切顔を見せてなかったからでしょうね。初期は顔出し NG 系スクールアイドルとして出てましたし。アニメでは素顔がベースだったせいか、「外にアピールするもの」としての面が強くフォーカスされていて面白いです。隠すものと出すもの。どちらも大事な機能ですけど、後者の捉え方はポジティブでいいと思います。

*4:イメージカットでの、表情のある璃奈ちゃんはかわいかったですね!!