もう一人の「あなた」 <ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2期 第4話「アイ Love Triangle」感想>
今回の感想は次の一言に尽きます。もうこれだけで筆を置いてもいいくらいで。
愛さんにも人間らしいところがあったと知れて、正直安心しました!(たいそう失礼)
これは、宮下愛の物語
愛さんは楽しむことの達人ですよね。何にだって興味を示すし、実際にやってみて面白がる。いつも楽しそうで私なんかが見ているとホント眩しいくらいです。
器用だから何事もうまくこなせて、だから楽しく感じられるのでしょうか。いえ、好きこそものの上手なれと言います。楽しいって思えるから熱中するし、熱中するからすぐに上達して、色々なスキルが身についてってるんじゃないかな。
幼少期にはアクティブさがなく、手を引かれるばかりだったという愛さん。お姉ちゃんには新しい世界に踏み出していく楽しさをいっぱい教えてもらったのでしょう。その小さい頃の経験のおかげで、やってみたら何だって楽しいということを知って、それを繰り返して大きくなってきたようですね。とても良い循環だと思います。楽しいの天才の原点でしょうか。
さて、愛さんは美里さんを元気づけるため外に連れ出そうとしていましたが、これは彼女にとっては当たり前の仕草ですよね。楽しいことはいつだって楽しいし、それで気分が上がれば物事が好転する。非常にわかりやすい理屈です。
ただ、そういったことを自然とできてしまう人は、何らかの理由でうまくできない人の気持を汲みづらいのが欠点と言えるのかもしれません。美里さんには愛さんの理屈が通用しないんですよねえ。
愛さんがそれを知って愕然とし、あげく全てを投げ出そうとしたときには――再度ホントーに失礼ながら、可愛らしいと思ってしまったことをここに告白します……。責めは甘受いたします、はい。
果林さんの言うとおり「誰も傷つけない」なんてできないんですよね。それでもやりたいなら、覚悟を決めて前に進まなくちゃいけません。
自分が楽しめるからでやるのと、人を傷つけるかもしれないと知りながらそれでも進むのとでは、やっていることは同じようでも中身が全然違います。明確な目的意識が生まれるし、責任も感じるようになります。それが覚悟を決めるということ、なのかな。
だから愛さんの口上はとても格好よかったなと思います。
- 愛
- 笑顔になる覚悟は決まった?
時には楽しむことや笑顔になることにだって覚悟は必要です。自然体で楽しめる人たちは素直にそれを享受すればいいだけなのですが、簡単にできない人もいます。できない時もあります。
そういった人たちにも前に進む勇気をあげたい、楽しさを伝えたいと願ってステージに立つなら、それは愛さんの大した覚悟だなと思うのです。
これは、朝香果林の物語
果林さんの物語と言うには無理がありますか。果林さんの葛藤が描かれていたわけでも、劇中の出来事で果林さんの何かが変わったわけでもありませんものね。*1 でも彼女が同好会に入るくだりから今回までをひとまずひと続きの物語と見ると、本エピソードではちょっとした「結」の部分を楽しませてもらえているような気がしました。
元来、果林さんは積極的に人に干渉しに行くタイプではなかったはずです。
親友のためなら旧同好会が潰された事情を探りに行くくらいはするし(1 期第 2 話、3 話)、たまたま出会った後輩が見当違いの方面で悩んでそうならアドバイスを入れてもいました(同 2 話の歩夢)。聡明だし、面倒見が悪いわけでもないんですよね。でもせいぜいがその程度。
例えば辞めると言っていたせつ菜(同 3 話)や、岩戸に隠れてしまった璃奈ちゃん(同 6 話)については、アクションを起こさない方向で意見を表明していたはずです。本人がそれでいいと言っている(言い張っている)ことには関わらないようにしているフシが見受けられたように思います。
ところがアニメも 2 期に入って、エマちゃんが嵐珠を誘いに行く場面(第 2 話)では、そこに果林さんも付き添っているのを見て、おや、と思ったんですよ。嵐珠は同好会とは別路線で行くとキッパリ告げていたはずです。付き添いとはいえ、意見を変えさせるような誘いをしに行くのかと。まあその時はエマちゃんの動向が気にかかっていたので考えを捨ておいたのですが、今回やっぱり出てきましたね。
今回のエピソードは愛さん美里さんが二軸でお話の主題となってますけど、その二人の間に果林さんが据えられることで一つの物語として仕上がっているように思います。そのスタートこそが美里さんに向けて言ったセリフ、「そんなふうに無理して笑う必要ないんじゃないですか」です。
美里さんが仲間の大切な人であることを考慮しても、以前の果林さんなら掛けなさそうな言葉に思えるんです。明らかに困っていそうでも、本人が平静を装おうとするならあえて踏みこまなかったんじゃないかなあと。それほど親しい相手ではありませんから。でもそこを突っつきにいったことで物語が動き始めました。
これって、人に極力関わらないでおこうとする性質が変わってきているってことなんでしょうね。エマちゃんにおせっかいを焼かれて自分の殻を破ったことや、同好会に所属してお人好しばかりの皆と一緒に過ごす時間が彼女に影響を及ぼしているのだろうと、そう想像するんです。いい刺激を受けているんでしょうね。
以前が悪いと言うつもりはありません。それでもきっと、これは好ましい変化です。果林さんはより魅力的で素敵な人になったと言いたい。上でも述べたように、もともと聡明だし面倒見も悪くないのですよ。その良さがさらに生きるようになったのですもの。
またこちらは深く言及しませんが、辞めると言い出した愛さんを挑発したのもやり方が上手かったですよねえ。
これらは、ここまでの果林さんの物語の「その後」。「結」なんだと思います。そして、それが今回全体をまとめるカスガイとしてはたらいていました。十分に堪能させてもらいましたよ。
これは、川本美里の物語
愛さんの話では、美里さんは病床にあった時には気丈に振る舞っていたと。少なくとも傍目に悩んでいるような素振りはなかったようですね。それだけ強い女性なのでしょう。なのに快癒した頃から塞ぎ込み出したというのは、彼女が失った時間の大きさが知れるようで、なかなかに心が痛いです。
ちらっと描かれていましたが、療養中にだって夢ややりたいことはあったはずなんですよね。でも病気を治すという真っ先に片付けなくちゃいけないことが目の前にありました。だからまずは治療に専念する。(闘病の大変さはまた別の話として、)こういった分かりやすい「やるべきこと」があると、自分の時間だけが止まっていることに対する複雑な思いは、ひとまず棚上げしておけるんじゃないかと思うんです。
で、いざ好きに生きられるようになってみると。自分が手を引いていたはずの "妹" が、ずっと先に進んでいるのに気づいたわけですね。自分が立ち止まったままだったことを、まざまざと思い知らされた。
話を聞いていただけの頃は、愛ちゃんの活動をどこか遠くのことだと感じていたんでしょうか。それが励みとなっていたようですが、自分も動けるようになったばかりに、今度は嫌でも比較対象にしてしまうんでしょうね。自分にもあったはずの時間がもう手に入らない、と。
失った時間に関しては、美里さんのセリフの中にいくつか気になるものがあります。愛ちゃんに呼び出された場所でこんなことを言っていました。
- 美里
- 懐かしいね。ここ、小さい頃よく一緒に――
小さい頃に一緒に遊んだ場所なら、そこはお家からかなり近いトコなんでしょう。つまり本来は生活圏だと思うのですが、そんな普段を過ごす場所の思い出話なんてどうでしょう。普通、唐突には出てこないんじゃないかと思うんですが。真っ先に子供の頃が出てくるというのは、そんな昔から現在までがすっぽり抜け落ちているからなんだろうなあ、とか。
もっと引っかかったのは「すごい」です。彼女は愛さん(と果林さん)を三度褒めているのですが、全部「すごい」としか評してないんですよ。
「すごい」は並外れているさまを表すだけの言葉です。それ単体で褒め言葉とするにはちょっと貧弱じゃないかと思うんですよねえ。*2 主に自虐で使う「小並感」なんて言葉がありますけれども、それが頭をよぎりました。
一応「歌って、踊って、たくさんの人を笑顔にして」とも添えていましたが、これも結果を述べてるに過ぎません。本当に賞賛感心すべきは、愛さんがそこに至った過程のほうじゃないかな。だって自分の目でその途中経過を見てはなくても、話には聞いているのでしょう? なのに中身に一切触れないから、褒めているはずの言葉が薄っぺらく聞こえるんです。
成し得るまでの努力を見ようともせずに「すごい」と叫ぶだけなのは、ずうっと身近にいたにしては寂しいなあって。
しかしこの、すごい妹の努力へ思いが至らないのも、仕方ない面があるのでしょう。一般に人は子供の頃から自分のやりたい事を見つけ、一つひとつ試してみて、失敗したり成功したりと経験を積んでいきます。それが大人へと成長していくってことだと思うのですが、彼女はその機会をまるっと奪われているんですよね。経験してこれなかった。そのせいで現在の愛ちゃんの後ろにあるものが見えないんだろうなあ。
美里さんには小さい子供のままな部分がごっそり残っていそうです。だから、もうあなたは自由ですよと急に放り出されても、歩きだす方向さえわからない。
なんだか容易に想像できる気がしますね。キラッキラ輝く娘が隣にいたりしたときには特に。光が強いと、さす影もより濃くなるんですよねえ。
さて、そんな美里さんですが、愛さんが直接手を引こうとしたときにはその手を取ることができず、Diver Diva のステージを見てやっと歩きだす勇気が生まれます。ここではアイドルの持つ力が大きいのはもちろんのこと、デュオのパートナー果林さんの存在が必要なところにも話の面白さがあるように感じました。
結局のところ、愛ちゃんしか目に入ってなかったから、嫉妬が勝ってしまってたんじゃないかと思うんですよ。施しなどと言うとちょっと言葉が強いかもしれませんが、私が持っていない全てを備えた存在から手を差し伸べられても……って面はあるんじゃないでしょうか。本当は自分が手を引いていたはずの相手ですし。
くわえて、差し出された手を "無邪気に" 取るだなんてできるものじゃないでしょうしね。どこかへ連れて行かれても、そこは与えられた目的地でしかないのですから。それで喜ぶのは、これから自我を形成していく本当にちっちゃい子くらいのものでしょう。
自分がやりたいと思えることでなければ意義がありません。「楽しいって気持ちもわかんなくなっちゃった」とは、向かいたい場所を見失ってるからなのでしょう。
主体性を持たないことには始まらない。楽しさを感じる前段階として、自分がどうありたいかのビジョンが必要でした。「海外で働きたい」は長期目標としてけっして悪いわけじゃないのですが、遠過ぎて道のりがぼやけてしまうんですよね。もっと身近に感じられるものが欲しい。
そこで DD のライブだったんですね。これもステージに立っているのが愛さんだけだったら、羨ましいで終わってしまいかねませんが、そこに果林さんがいることで全く別の見方ができるようになりました。
果林さんは素晴らしいロールモデルでしたね。愛ちゃんと並んで競い合える存在。そんなポジションがあることに気づけたのは、美里さんにとって大きな変化だったはずです。
直接誰かと比べてどうこう考えるだけでは不幸になるばかりですよ。そうではなく、相手がいることで自分が頑張れて、自分が頑張ることで相手もより高みに上れる、そんな関係が好ましい。愛さんはもう手を引いたり引かれたりする相手じゃないんですよね。その結論に至れる彼女は、やっぱり強い人だなって思います。
これは、Diver Diva の物語
しまった。ここまでで結構述べちゃいましたね。
愛さんがカリンに提案した競い合う形のユニットはこれまた素晴らしかったですね。彼女らのパフォーマンスには競演という言葉がぴったりです。張り合うことでお互いをより高く押し上げ、結果としてその力の拮抗する様子には素敵の一言。心を鷲掴みにされました!
その美しく緊張した世界は、一人ひとりが力を示しているだけでは決して作り出せないものなのでしょう。負けず嫌いな二人がキレイに噛み合うって、やっぱり相手に対する信頼がベースにあるのかな。いいデュオですね。
直前の QU4RTZ が調和によって良さを引き出すグループだっただけに、対比が際立っていて、その意味でもワクワクさせられました。この後に続く A・ZU・NA がどう魅せてくれるのかもますます楽しみになってきます。
これは、「あなた」と叶える物語
さて、最後に一つ。
私は今回のお話を美里さんの物語としても読みました。これってちょっとした異物感がありませんか。ラブライブ!はスクールアイドルたちが輝くお話なのに、アイドルとは違うところにフォーカスが当たってますものね。
しかし「虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」の謳い文句は「あなたと叶える物語」です。
ゲーム「スクスタ」では、プレイヤー「あなた」はファンやサポーターの立場でアイドルたちと関わっていきますよね。それはアニメとなった当作品でも同様です。「あなた」が具体的な姿形と声を持つこととなった侑ちゃんは、アイドルたちとははっきり一線を画して描かれています。
公式 HP には「12人と1人の少女たちが紡ぐ」と書かれていました。これは言い換えれば「アイドルとファンの物語」のこと。つまりアニガサキは二者の関わりを描くものなんですよね。
今、主人公には侑ちゃんが置かれてますが、彼女が物語に参加しているのは私たちファンを代表してです。言うならば一例でしかなく、「侑ちゃん」とはまた別の可能性だってそこにはあったはずです。
他の人物がその場所に立てば、きっとまた違う物語が紡がれることでしょう。アニガサキで中心となって描かれる侑ちゃんと同好会のお話は、無数にある「あなた」の物語のうちの一つ。
ええ、もちろん美里さんだって、その「あなた」の一人ってことです。
「スクールアイドルがいて、ファンがいる。それでいいんじゃない?」とはまさに侑ちゃんのセリフ(1 期第 3 話)でしたね。
今回のエピソードは、一人のアイドルと一人のファンという最小単位の交流を見せてくれました。アイドルは一皮むけて一層輝きを増し、ファンは勇気を持って歩き出せる。こぢんまりとはしていても、いかにもアニガサキらしい物語じゃないかなと、そんなことを思った第 4 話でした。
Unit は unity(結束、調和)の派生語 <ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2期 第3話「sing! song! smile!」感想>
前回の答え合わせみたいなものだし、ちゃちゃっと書いちゃおうと思ってたんですが……無理でした。
グループに一番の贔屓と二番贔屓の娘がいて、どうやら私はエマちゃんが活躍するタイプの話が好きなようで、そして家族の描写(特に親御さん目線の)が好物となればどうなるか。今回の感想の長さが答えなようです?*1 これでもかなり削ってるんだけどなぁ。
前にもこんな事あった?
合同ライブではユニットを組むということで話が決まり、具体的に何をするか 4 人が相談しているところからお話は始まっていました。しかしそれぞれが別のことを主張するばかりで、一向にまとまる様子がありません。
- 彼方
- このやり取り、前もみんなでした気がするよ~
個々の主張が強いのが虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会です。ちょっと話し合ったくらいで一つにまとまるなら、最初からソロ主体では活動していないでしょう。それが元で旧同好会は分裂しかかってたんですしね。ただその経緯があるから、ちゃんとお互いを尊重し合うようになったのはいいところです。執拗に自分を押し付けようとしないし、相手を強く否定することもありませんでした。
ところで、彼女たちは前のフェスで一度演れたのを受けてまた一緒にやってみようと思い立ったようですが、今回はその「夢がここから始まるよ」とは少し事情が違います。それがまとまりを難しくしている一因なのかな。
「夢ここ」とは出発点が違いますね。あの時はメンバー皆んなが最初から共通して持っているものがありました。(侑ちゃんを始めとする)ファンに返したいおもい。9 人を束ねるためのコアになる部分は端からあったんです。それを表現するために、皆んなで一つの曲という形をとっていたんでしたね。
今回嵐珠に示したいのは同好会の有意性です。これこれこうだから、こういう面があるから同好会のやり方には意味があるんだよ、と言いたい。しかしその理由になる部分がまだ出せていません。
芯となる部分を欠いていればまとまれないのは道理で、具体的なライブ演出の話から入っていっても埒が明きません。もどかしいですね。
そうですね、今回取り入れるべきなのはまず「つながり」でしょう。これは外せません。観客・ファンとのつながりがあるからできること、仲間と支え合えるから見つけられるもの、例えばそういったものを示せなければ嵐珠に見せる意味がありません。
それに加えて、各々が強みとしていていつもステージに取り入れていること、つまり自分自身のやりたいことを崩せない縛りも入りますよね。(もとより誰も崩すつもりがないかもしれませんが。笑)嵐珠は自分なりのやり方を曲げたくないと言っています。その彼女を誘うのですから、個々の良さを曲げる形で張り子を作り上げても、そこには説得力がありません。
そう考えると、やっぱり 4 人はそれぞれに自分のやりたい事を主張せざるを得ないわけでして……。話が元に戻ってきてしまいましたね。もどかしい。
万策は尽きてない
やりたい事をどうまとめ上げて「つながり」と結びつけるか。そのあたりが課題なんでしょうか。
ええ、いきなり座礁しかかってますが! やりたい気持ちだけはあるのに、それが全然形になってくれないのではボヤきたくもなりますよね。
物事がうまく行かないとき、焦って視野が狭くなるのはよくあることじゃないかと思います。今やってみた視点ではダメだったのだから、他に目を向けなくちゃいけないのに、それができないから抜け出す方向すら探れないんですよねえ。
で、どうにも進まないのだろうなと思っていたら、救世主が現れましたね。ばらばらに主張しているだけでは何もまとまらないのは確認できたから、じゃあ一つずつ吟味していこうと、璃奈ちゃんはそう言います。
ちゃんと視野を広く保っていられる人って凄いなって思うんです。
少なくともアイデアは出ているのだから、自分に合わないからとすぐ却下するのではなく、もう少し掘り下げてみようってことですよね。ベストなのかはわかりませんけど、物事を一歩でも先に進められる Great な提案です。時間は許してくれます。確かに諦めるにはまだ早い。
「失敗」という言葉を用いず、「その方法ではうまくいかないことが分かった(から成功)」と表現したのは発明王エジソンでしたか。科学実験とはちょっと話が違いますけれど、通じるものがあるんじゃないでしょうか。すぐダメだったで済ませずにアプローチを変えてみるって大事ですよね。
ロジックで物事を捉え、必要なときには意見を述べて皆を誘導していける。璃奈ちゃんの素敵なところだと思います。「引っ張るタイプ」だと後に指摘されていたシーンでは首を激しく縦に振りました。
違う顔、映る顔
ところがアイデアを掘り下げると言っても 4 人の主張自体は変わらないわけですよ。かすみんの可愛い、却下。彼方ちゃんの枕のステージ、却下。ちょっと趣向を変えて、璃奈ちゃんの一致ゲーム、まったく合わない。散々です。笑
結局同じことの繰り返しになってしまって無駄に思える? いえ、そればかりではありません。
彼女たちが普段顔を合わせているのは学校の部活と、せいぜいが放課後などにちょっと遊びに行く程度なのかな。家での様子って外とはまた雰囲気が違いますよね。いつもと違う顔を知れるのがいいんです。
なかでも家族の在宅していた彼方ちゃんが顕著でした。気がつくとすやぴしていて、甘えんぼさんなところが目立つ学校での様子とは全然違います。留守がちな母親に代わってしっかり「お母さん」やっている姿も大好き。
彼方ママ*2 にとっては、いつも家のことを任せちゃってる娘が友人を連れてくるなんて一大イベントです。邪魔しに行って娘に煙たがれるタイプではないようですが、目一杯腕をふるってもてなしたいって気持ちはすっっっっごくわかります。
遥ちゃんにとって同好会メンバーは見知った相手ではあります。でもその節には世話になった人たちですから、ちゃんとやってるところを見てもらいたいですよねえ。そして褒められても自分の手柄にせずに、姉の教えが良かったと自慢するところが可愛いなあ。お姉ちゃん大好きなのが伝わってきますよね。
そんな二人が動くので、彼方ちゃんのやることはもちろんありません。つい腰を上げかけて止められたのを見てクスリとしました。落ち着いて座ってちゃいけないように感じる気持もよーくわかりますよ。
身内にもてなされて妙に座りが悪くなる感じってなんなんでしょうね。でもそのちょっとした居心地の悪さが嬉しいというか……。逆かな。嬉しからソワソワしちゃうんでしょうか。学校では絶対覚えない感触だろうなと思います。見る側としても貴重な姿じゃないでしょうか。
すみません、脱線が過ぎましたね。いつもと違う顔を知るという話でした。
彼女たちはソロで活動していますから、お互いが作り上げているステージは知ってても、何を思ってその形にしているのだとか、そこに立って求めるものは何かだとか、深いところまで理解しているとは言い難いでしょう。
指摘されていた、かすみちゃんの自分だけに留まらない気遣いの仕方だとか、エマちゃんの妙に頑固*3 なところだとか、そういった面って小さいことかもしれませんが、積み重なってパフォーマンスに表れてくるはずです。
いつもとは違う様子を知ることでお互いの理解が深まる。メンバーそれぞれを生かしたステージを一緒に作るにあたって、根っこにある部分を知っておくことは肝要だと思います。
もちろん、仲間の目を通して自分がどう見えるかを知り得たのも大きいですよね。
一人で演じているときには、自分がどうかの知覚って、まあ必要ないと言ってしまっていいかもしれません。自分が思う自分と外から見える自分とが多少ずれていても、見る人を楽しませられてさえいればある意味それで十分でしょう。
しかし複数で演るとなると話が違ってきます。仲間と合わせて何かをやるるためには、自分がどう見えるのかも把握する必要がある。もし自分のイメージとにズレがあったら合うものも合わせられませんから。ズレを調整することで初めて足並みを揃えることができるし、また外から見える様子を意識することでグループの中での自分の活かし方が見えてくると。
ティーカップを覗き込むのは面白い演出でした。自分の姿って鏡などに映ったものでしか確認できませんが、そこに見えるのは逆像ですものね。いくらそれっぽくても本当のカタチ(正像)とは違います。自分では自分の姿を正しく知覚できないって、例えばこういうことなんでしょう。
さらにさらにさらに! ここに璃奈ちゃんを持ってくるのが本当にニクい!!
璃奈ちゃんで映った顔といえば、1 期第 6 話(お当番回)のエピソードがすぐに思い浮かびます。ガラスに映る表情の変わらない自分を見て、笑って見えるように口を描き足していましたよね。その行為はどうにもならない自身に対する不満の現れ。気持ちはわからなくもないですが、変わることを半ば諦め、外から無理にでも「変えてしまう」手段をとっていた彼女に自己の否定を感じて、胸がキュッとなったものです。
それが今はどうでしょう。同じ映った顔を見つめるでも以前のとはまったく違います。現実を否定するでも勝手な自分の理想で上書きするでもなく、ありのままの自分を真摯に見定めようとしています。彼女には未だ自らに対する複雑な思いがあると思うのですが、まずは正しく自分を受け入れている。そんな様子が伺えます。強いなあ。
表と裏
今回は表で QU4RTZ のお話が進むと同時に、裏っ側では侑ちゃんがあれこれ悩んでいましたね。全然関係ないはずの二つのお話がシンクロしているところに構成の妙を感じました。
QU4RTZ の 4 人が自分たちで課したものに対し、侑ちゃんの悩みのタネは与えられた課題。その違いこそあれ、二組とも出すべき答えがさっぱり見えず、苦悩しているところからストーリーが始まります。
侑ちゃんが悩んでいたのはなんとなくわかります。
今まで音楽の世界に縁がなかった侑ちゃんは、ほぼ無手の状態で転科したわけですよね。そして座学で基礎となる知識を得たと。曲を作るための便利な道具を初めて手にしたわけですが、道具なんていきなり渡されても、そうそううまく扱えるわけがありません。特にこの場合、課題が「作曲をしてもらいます」と漠然としているので、何をしていいものやら途方に暮れるのも頷けます。
道具の扱いに戸惑っていたのは QU4RTZ も同様でした。4 人はユニットという新しい表現方法を試してみようとしていたわけですが、その新しい道具の活用が思いつかず。というのが上で述べてきたことです。ちょっとした共時性が面白いですね。
侑ちゃんがアドバイスを求めた先の、ミアちゃんの答えはさすがの「プロ」でした。求められるものに忠実に応えればいい。補講の最終課題ですから、習ったものが身についていることを示せればそれで十分で、変に色気を出して創造性を盛り込まなくていいってことでしょう。
その意見に同調する果林さんも、モデルとして「要求に応える仕事」をしている人の視点です。対して、それだけじゃ物足りないと主張するのは楽しいの天才さんですか。こういったところに物事の捉え方の違いが出てくるんですよねえ。興味深いです。
さてここでの立場の違いですが、求めに応えて出すものがプロダクトで、自分の内にあるモノが形を持って現れたのがアートだと、私はそんなふうに解釈してます。プロダクトは必要とあらば同質のものを二個三個と用意できます。アートは一点物。予想もしない良い物が生まれることもある一方で、必ずしも質が保証されるとは限らない。
どちらが上って話ではありませんし、また、実際きっちり二分されるものでもなく、二者間にグラデーションで存在するんでしょうけれど、現時点で侑ちゃんがどっちをやりたいのかが問題なのかな。後者を追うのならミアちゃんのアドバイスでは確かに足りなさそうですね。
ちゃんと後押ししてくれる同好会メンバーは心強いです。
ここの構図も普段と立場が逆なのがいいですね。同好会での侑ちゃんの役目はサポートで、いつも皆んなの相談に乗る側です。一緒にいて世話を焼いているから皆のことをよく知っています。ですがそれは逆もまた然りでして、皆んなにも自分のことを知ってもらっているんですよね。
で、今回のように悩んだり立ち止まったりした場合には、普段皆んなを後押ししている分が返ってきます。エールが自然と自分に還元されて前に進めるようになる。これは独りで夢を追いかけていては得られなかったものです。
こういった形で嵐珠に対するアンチテーゼを示すんですね。今回のエピソードの最後では、おウチで一人練習する嵐珠と、皆んなが待っている部室のドアを開ける侑ちゃんの対比が印象的でした。
他人の目を通して自分を再発見し、それが新しい形を生み出していくのはやっぱり QU4RTZ でも同じ流れです。一緒に居て横のつながりがあるからできることですね。
楽しもう!
最終的に出した答えが、まず自分のやりたいようにやってみる。こちらは侑ちゃん。そして QU4RTZ は――明示されてはいませんでしたが、私の解釈としては――難しいことを考えすぎずただ楽しむ。
最初、侑ちゃんはどう作曲すればいいか(及第点がもらえるか)に戸惑っていたし、QU4RTZ はどう嵐珠にメッセージを伝えるか(説得させられるか)に頭を悩ませていました。二組とも最初は外に対してのモノだったはずです。それが紆余曲折を経て自分(たち)の中に答えを見つける流れになっていますね。
少し自分語りを失礼します。こんな創造的な分野ではないのですが、私もちょっとしたモノ作りをしているんです。で、折につけて思うんですよ。人に向けて作ってはいるけど、やっぱり自分に立ち帰ってくるなあって。求めに応えるため試行錯誤しながらやってて、たまには奇抜なことに手を出してみても、どこかにはちゃんと「自分」を保ってなくちゃいけないなあって。最初に持っていたやりたいという気持ち、自分のソレにかけるおもいってとても重要です。モノ作りの出発点であり、土台になる部分だと思います。そこか揺らぐと、上に何をどう載せようがカタチにならないんですよ。初心に帰るなんて言葉もありますね。特に迷ったときには、自分が何をやりたいのか/やりたかったのかを見つめ直すと、複雑に思えていたものがスッキリと見え解決につながってくれると、そう思うんです。
話を戻しまして。侑ちゃんについてはほとんど語ってしまいましたので、QU4RTZ の残りに話を向けましょうか。
彼女たちが答えとして出したライブはホント楽しそうでしたね! 可愛い衣装。会場を一体とするステージ作り。デジタルを駆使した演出。傍にいて包み込んでくれるような空気感。一人ひとりが持っている良さを損なわず素敵に盛り込んであったのが嬉しいです。
エマちゃんのお部屋のシーンではミルクティーが象徴的に使われていました。紅茶とミルク(と砂糖)って相性がいいですよね。一度注ぐと完全に混ざり合って、元の紅茶とも牛乳とも全然違って見えます。でも味わうと、一つひとつがそこに居るとわかる。紅茶の風味やミルクのコク、砂糖の甘さ。自分のいいところをちゃんと主張しつつも、でもお互いを邪魔することがないんですよね。それどころか引き立てるように作用しあいます。別々に飲んだって美味しいのに、二つ一緒にして砂糖を加えることでずっと深い味わいを楽しめる、ぜーたくな飲み物だなって思います。ユニットってそんな存在なんですよね。
そしてここでは観客を楽しませているのは当然のこととして、彼女たち自身が楽しんでいるのがなによりいい!
曲のタイトル "ENJOY IT!" も「楽しもう!*4」って意味でいいと思うのですが、目的語が it になっていて、具体的には示されてないのが興味深いです。
ライブはもちろん該当するでしょう。それだけじゃなくアイドル活動とか、もっと広く意味を取って、自分(たち)が取り組んでいること、友人と過ごす時間、切磋琢磨することなども当てはめられるんじゃないかと思うんです。
今回で言えば、彼女たちが嵐珠に伝えたいと思う気持ちそのもの、一緒にステージを作ろうと決めたこと、上手くいかず皆でさんざん苦悩したこと、合宿という名のお泊まり会を経て発見があったこと、もらった応援、そしてその果てに得られたライブ。それら全部をひっくるめて皆んなと一緒に楽しめたら。こんなに素敵なことはないですよね。
さてこれでメッセージは伝えられました。しかし肝心の嵐珠が渋い顔をしていたところを見るに、QU4RTZ の言うことを否定はできないけれど我が事として納得はしかねる様子ですね。
こちらが頑張っておもいを届けても、それを相手が受け取るかどうかはまた別の問題です。嵐珠の側に受け入れる準備がないのなら今の段階ではしかたないのかなあ。彼女のその頑なさが何なのか気になるところですけれど、第 3 話はここまでですね。
今週のたわごと
解釈に困ったのでスルーしようと思っていたのですが、あまりにも目立つ位置に置かれていて見るたびに気になるので触れておくことにします。
MV 途中に出てくるオブジェクトは音叉ですよね?
皆さんはどう解釈しているのだろうかと、ちょこっとズルして、ブログを何本か該当部分だけ読ませていただきました。*5 ざっと見たところ、バラバラだった 4 人を調律する道具というのがあらかたの見方なんでしょうか? だとすると(私の解釈ベースでは)「楽しむこと」が表象されてるってことですね。なるほどなるほど。
私は解釈を投げているので、これは答えというわけじゃ無いのですが、実は見たときにぱっと思ったことがあります。それをこの感想のまったく締まらない締めにしたいと思います。
――音叉かぁ。確か 440 Hz だったかな? 純音。倍音も含まないから音波は綺麗な正弦波を示すんだよね。ん? ってことは、これって "sine"……? 今回のサブタイトル「sing! song! smile!」に続く 4 つ目の "s" !?
「くだらない」 <ラブライブ!スーパースター!! 2期 第6話「DEKKAIDOW!」 感想>
また一言感想を述べたくなって筆を執りました。
夏美は自分のためだけに Liella! を利用しようといろいろ画策していましたね。6 話に入っても前半までは一貫して同じ姿勢です。お金儲けのため、手元のネタをいかに効率よく料理するか考えるばかり。
そこには行為の善・悪という考えが希薄だったように思います。
一応、一方的に利用している後ろめたさくらいはあったのかな。お金稼ぎが目的だとバレそうになると懸命にごまかしていましたから。*1
ともあれ、彼女の中にあったのは、どれくらいの数が稼げるかという思いがほとんどだっのだろうと。私はそう読みました。
Liella! に対しては、良くも悪くも「たまたま見つけた稼ぎのネタ」以上の思いはなかったのでしょう。手近にあるから利用しているけれども、別段ハナから食い物にしてやろうって考えて近づくほど悪どい感じではありませんでしたから。かといって 8 人の活動に興味があったようにも見えません。無関心と表現するのがいいのかな。
関心がないから、タブン自分のやろうとすることの結果を想像できなかった(しなかった)んだろうなあと思ったのですよ。
彼女のやっていたことに関してですが、動画を編集してアップする手間賃としてお小遣いを稼ぐくらいだったら、咎め立てられるほどのことではないかもしれません。*2 ですがそれは Liella! にもメリットがある場合の話です。センセーショナルなほうが再生数を稼げるからと、彼女らのイメージを毀損する嘘を盛り込むのはさすがにいけない。
でも夏美は何とも思っていなさそうなんですよね。思っていないというのともちょっと違うか。考えが至っていない。その動画をファンがどんな気持ちで見るかだとか、そのことで Liella! の活動にどう影響が出るかだとか、Liella! 側から見た先をまったく考えてなさそうでした。
このあたりの機微が少し不思議なんです。褒められた好意じゃないのをわかった上でやってて、「騙される方が悪い」とか開き直るのならまだ理解もできるんですが、考えていないというのは。
多分、Liella! の活動は把握していても、彼女の認識は至極表面的だったのだろうと思います。グループの活動の意味、例えば 2 年生 5 人がそれまでの一年間で何を示そうとしてきたのかだとか、1 年生たち 3 人は何を思って加わったのだとかを理解しようとしていなかった。
彼女頭はすごく良さそうなので、その気になればちゃんと思い至ってたと思うんですけどね。この時点ではそういった方面へ意識を向かわせていなかったんでしょう。
だから、(未遂に終わりましたが)あんな酷いコトが平気でできたのだろうと思うのです。
そんな彼女が変わります。きな子ちゃんと話をしたことで。
きな子ちゃんから 1 年生の夢の話を聞き、そのとき初めて同級生たちが、ひいては Liella! がやっていることを理解したのだろうと思います。そして自分の夢が何なのかと聞かれて、自分が大事にしているもの、マニーについて考えを巡らす。
お金は何かを成すための手段です。そのものが目的になることは本来ありえません。だからきな子ちゃんからは当たり前のように「なんで?」と問われていました。でも夏美はその答えを持ち合わせていない。
夢がないからとお金稼ぎに精を出すようになった経緯を考えれば当然ですよね。手段であるべきお金を夢の代替としているだけなのだから、その先の目的なんてあるわけがありません。
まあ、お金を稼ぐのだって大変なことです。エネルギーはすごく使うし、センスや工夫も必要になるし、上手くいくことのほうが少ない。でもやった分は何かしら返ってきます。数字でちゃんと現れてくれます。荒唐無稽な夢を夢見続けるよりは確実に手応えを感じられるのでしょう。夏美が懸命にやっていたのはある意味評価しますが……。
手段を目的化してしまうと大抵おかしなことになりますよね。行く先もないのに車を運転するようなもので、そこで速度を出すことを目的だと勘違いすれば、そりゃ何も考えずアクセルをベタ踏みしだすでしょう。夏美が Liella! を利用してたあたりの動きって、それだったのかなあと思うのです。
で、きな子ちゃんと話をして。夢というものや、自分が今やっていることについて考え直させられて。
- 夏美
- まったく……、くだらないんですの
この「くだらない」って、まさかきな子ちゃんが語っていた 1 年生の夢の話じゃないでしょう。もちろん自らに対してです。夢と呼べるものがない自分。その埋め合わせにお金を稼いでいること。他人を利用しようとしている現在。
忘れていたのか、わざと気づかないふりをしていたのかわかりませんが、夢を語り夢を尋ねてきた同級生のせいで、いえ、その同級生のおかげで今一度自分を見つめ直すことになりました。
夢を持って努力しようとする同級生たちがいる。それに引き換え目的もなく走り続ける自分は虚しく映るでしょうね。
上記のセリフは、小手先のごまかしでほんのちょっとの数を稼ぐことの無意味さを自覚したからだと思うのです。馬鹿らしくなって、動画の釣りサムネを適正なものへ変更したと。
しかし、自分が大事にやってきたことを虚しいと認めて「くだらない」と言い切るのってなかなかに難しいことだろうと思います。
それだけ彼女の中に起こった意識の変化が大きかったということ。そしてここで Liella! に対する無関心が、夢を持つ人たちという認識へと変わったからこそ、続く場面の、凹んでいた同級生の叱咤へつながっていったのだろうなと、そんなことを思ったのです。