蓮ノ空という Virtual School Idol

新しいスクールアイドル

この 2023 年 4 月、ラブライブ!の新しいシリーズが始動しましたね。

「バーチャルだけどリアル」と謳うとおり、蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブは“バーチャル”が大きな特徴の一つのようです。

専用アプリ「リンクラ」内や、公式 YouTube チャンネル等では彼女たちの様子が見られますが、みなさんはいかがご覧になられますか。私には想像していた以上にそのバーチャル具合が良く見えました。

まず単純に可愛らしいですよね。造形もそうですが、モーションキャプチャで拾っているという、彼女たちの動きがとにかく愛らしい。

配信を見ていると、兎にも角にも目を引かれるのは、元気組の 3 人でしょうか。花帆さん(日野下花帆、CV 楡井希実)、ルリちゃん(大沢瑠璃乃、CV 菅叶和)、めぐみ(藤島慈、CV 月音こな)の 3 人は動きも大きく、常に何かやっているので眺めていて飽きません。

そして独特な雰囲気を持つ綴理(夕霧綴理、CV 佐々木琴子)ですよね。動きにも喋りにも自分のペースを崩さないので、何かするたび意識を持っていかれます。後ろで意味なく揺れてたりもするし。

じゃあ、おとなしめな 2 人、さやかちゃん(村野さやか、CV 野中ここな)や梢先輩(乙宗梢、CV 花宮初奈)が今一つなのかと言うと、決してそんなことはなくて。

という話をこのブログのマクラにしたいと思います。

私の思うハイライト

誰かが話をしている時、さやかちゃんはちゃんとそちらを向いて、うなずいて相づちを打っていますし、また適宜コメントを挟んているのを見ると、全方位に気を配ろうとしているのが分かります。真面目な下級生らしさが伝わってきます。

彼女がよくやっている姿勢に、肘を軽く曲げて、両こぶしを胸の前に持ってくるのがあるのですが、そこには一所懸命やろうと少し力んでいる様子が伺えます。かわいい。

YouTube「【2023年4月2日】蓮ノ空YouTube特別配信!/ラブライブ!蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ (Link!Like!ラブライブ!) #蓮ノ空メンバー初配信」より

あと、そこかしこに綴理先輩に対するリスペクトが感じられるのが非常に良いです。配信では、綴理の発言フォローを即座に買って出る姿が目につきますけれど、それはただ面倒を見るのが性に合っているからだけというより、先輩のことが好きでたまらないからに見えるんです。素敵な先輩のことが誤解されて伝わって欲しくないのかな。

発言フォロー以外で、先輩好きが垣間見える例を一つ挙げるなら、特別配信(4 月 2 日放送)での自己紹介コーナーですね。綴理の番だけ 5 割増しで盛り上げようとしていた のを、私は見逃さなかったですよ。笑

梢先輩はなんと言ってもその所作でしょう。そこに立っているだけで美しいですし、ちょっと前に出てきてまた帰っていくだけの動きがもう優雅ですよね〜。好き。

一部の隙もないのに、無理があるようには一切感じられないのがホント素晴らしい。綴理とはまた違った意味で、他にない雰囲気を纏っているんですよね。

これは本人の直接的な話ではないのですが、印象的だったのが、同じく自己紹介の時の様子です。それまでみんな賑やかにやっていたのに、梢先輩の番になって彼女が一歩前に出た途端、緩かった場の空気がピンと引き締まったんですよ。これだけで普段の彼女の立ち位置がわかるってものです。*1

でもそれがヒリつくような緊張感ではなく、張り詰めた中にも、遊びというか柔らかさのようなものを残していたのが、彼女たちの仲の良さが伺えるようで興味深かったなあ。

YouTube「【2023年4月2日】蓮ノ空YouTube特別配信!/ラブライブ!蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ (Link!Like!ラブライブ!) #蓮ノ空メンバー初配信」より

めぐみと綴理が、おへその上で手を組む梢先輩の立ち姿を真似して、こっそり茶化しているのがなんとも言えなかったですし、1 年生ズがそれを真似しかけて、やっぱり止めていたのが、それ以上になんとも言えなかったです。(相手は先輩ですものね。笑)

後ろで見えているもの

と、ざっと何点か挙げてみましたが、これらはすべて背景として視界に入る事柄です。トークの内容だとか、歌・ダンスのように、彼女たちが意識的にこちらへ提供しようとしているモノではありません。

見えて「しまって」いるとでも言えばいいのかな。本来であれば必要ない要素なのですが、カメラの前に立った時、自然とこちらまで届いてしまう情報です。

この「余計な」情報が入ってくるのって、バーチャルが全てを映すプラットフォームだからなのでしょう。そして、その「余計な」があるおかげで、彼女たちをより身近に感じられるのが嬉しいなと思ったんですよ。

サブ要素

少し話は変わりますが、みなさん、「きょうの Aqours」とか、スクスタ「毎日劇場」とか、最近出たものならスクフェス 2 の「スクールアイドルの日常」とか好物でしょう?(決めつけ)

アニメ等のストーリー性のあるお話は、スクールアイドル物語の主軸です。そこでは事件が起こったり、衝突したり、葛藤したり、成長したりしますね。

そういったメインの場では、「お話」にフォーカスを当てるため、必要のない情報は一般に削ぎ落とされるものです。見えているものはすべて「お話」に必要で、逆に関わってこないものは画面に入らない。

でも、主役である高校生の女の子たちって、そこでお出しされたモノが全てではありません。見えていないところでだってちゃんと生きています。学校に通って、勉強して、部活は描かれることが多いですけど、友達と遊んだり、家族とかと過ごしたり。

先に挙げた「きょうの Aqours」などは、そういった日常の切り抜きです。

スクールアイドルな彼女たちが、スクールアイドルをやっていない(やっててもいいですが)一幕。メインのお話ではないところで、彼女らが何をしてるのかを見せてくれます。ちょっとした出来事を通して、普段考えていることだとか、メンバー同士の関係性だとか覗き見ることができます。

それが本編では描かれなかった側面だと、新たな一面を知れて嬉しいですし、逆に本編で出てきた事柄を補強するようなエピソーででも、納得が深まってやっぱり嬉しいものです。

ただの物語の登場人物では終わらない、一個人としての情報量が増えるんですよね。キャラクターの厚みにつながる。リアリティが増すと言ってもいいです。世界観を大事にする視点に言い換えるなら、彼女たちのことをより深く知れる、かな。

それが、メインストーリーを楽しむかたわら、サイドストーリー的なものも同時に好まれる理由の一つじゃないかなと思うんです。

全部見える

バーチャルで配信する場は、そういった細かい情報の宝庫です。

配信そのものがサプリメントであることは言うまでもありませんが、それ以上に、私が「余計な」と呼んだ勝手に映ってくる情報こそがキモじゃないかと思うんです。

再度話が逸れますが一つ例として、Aqours の逢田さんの逸話にこんなのがあるそうです。*2

ライブの MC で一人ずつメンバーが喋っている時、順番待ちの間、逢田さんはちょくちょく目線を落として真顔でいることがあると。人の話を聞いてないっぽいですよね。少なくともそう見えます。

実際は自分の番に喋る内容を考えているそうなのですが、いかにも逢田さんらしい様子で私は大好きです。

……が、大体において、カメラはその時話しているメンバーを映しているのです。当然逢田さんはフレーム外に。だから、配信か円盤しかない私には、逢田さん仕草を見るチャンスがあまりないんですよ。まあ、切られるべき「余計な」情報ですものね。仕方がないです。

しかし、蓮の配信ではそういったことが起こりません。カメラ固定で全員が映り込んでいますから、後ろで何をしてようが一切カットされずに見えます。これは嬉しい。

ライブ感

また、バーチャルは「メンバーとしてその場に立っている」ことが、大きな強みになっているように思います。意識せずとも勝手に画面に映り込んでくるから、「余計な」情報を盛り込むのにこれほど自然なことはありません。

似たような画(コンテンツ)を用意するにしても、これがアニメやドラマなどになると質が異なってくるでしょう。そういった設定を取り入れるには意図的にならざるを得ず、どうしても作り物めいてしまうキライがあるように思うんです。

作られた物が悪いわけではないのですよ。でも細かい場所まであまりにもすべてが綺麗に収まるのは鼻につくと言いますか……。ライブ感が失われる?

バーチャルのガワを被り、メンバー本人としてその場に立った時、楽しい時間を作ろうとするキャストの一所懸命さは、そのままメンバーの一所懸命な様子として私たちの目に映ります。生じる緊張感も、メンバーたちの間に生まれたものとして感じられます。

バーチャルの向こうにリアルがあるおかげです。

リアルとリアリティは違うなどとも言われますけれど、それでもリアルが背景にあることで増す真実味はあるはず。空気感だとか「余計な」細部といったところに現れるのがソレなんじゃないでしょうか。

主力コンテンツの一つ

しかし、これ、キャストの負担は大きいでしょうね。ずっとメンバーで居続けるのって大変。大筋の台本はあれども、細部はアドリブだらけですもの。

インタビューを読んでいたら、案の定こんな話を見つけました。

佐々木
それから、トークレッスンもしました。そのおかげで、お互いのパーソナルな部分を知ることができたと思います。
まず、お題を渡されるんです。例えば「音楽について」とか。そこから1分くらい内容を考えて、お話をするんです。最初の頃は、自分たちのことを知る意味も含めてキャストとして話していたんですけど、少しずつメンバーとして話す練習をしていきました。
蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ 新シリーズはバーチャルで/日経 X TREND

言われてみれば当たり前なのかもしれませんけれど、メンバーに「なる」練習もしてるんですね。

ライブコンサートには、歌やダンスの練習が欠かせません。

バーチャル配信も同等にこうやって準備しているのだと考えると、蓮ノ空プロジェクトにおいて、配信ってかなりウエイトの大きいコンテンツなんだろうなあ。気軽に視聴できるから、ついついオマケみたいに思ってしまいますが、全くもってそんなことありませんね。

バーチャルのおかげでそこにライブ感が生まれ、メンバーたちがホントに居るように感じられる。リアルにスクールアイドルしている様子を覗くことができます。

逆に言えば、彼女たちをいかにリアルに近づけられるかに力を入れているってことなのでしょう。

リアルの追求

このリアルさに関しては、かなり徹底していているように思います。

先に挙げた特別配信は、前半がキャストによるトーク、後半がバーチャルメンバーによる自己紹介の二部構成になっていまして、切り替わるタイミングにこんな一幕がありました。

楡井
この後は、(バーチャル)メンバー 6 人による、初の生配信です
【2023年4月2日】蓮ノ空YouTube特別配信!/ラブライブ!蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ (Link!Like!ラブライブ!) #蓮ノ空メンバー初配信

「初の」に強調をおいて、楡井さんが後半パートの紹介をすると、それを受ける形で、後ろから(菅さんと月音さんかな)「がんばれー」の声がかかっていました。もちろんバーチャルの娘たちに向けてです。

実際、メンバーの中に入るのは自分たちな訳ですから、ここでは「頑張る」または「頑張ります」が正確な表現ですよね。そこを「頑張れ」と。

なるほど。他人に向けて送る声援にしているところがニクイです。バーチャルなスクールアイドルを、自分たちとは別と捉えていないと出ててこない言葉ですもの。

メンバーの 6 人はちゃんとこの世に生を受けて、今この時、蓮ノ空女学院でスクールアイドル活動をしている。そこに真実味を帯びさせる言葉です。小さくとも重要な仕掛けだと思います。

そやって些細なところにまで気を配ってくれるから、創り出された世界観に浸ることができるんですよね。

他にも――

こちらは月音さんのツイートです。アプリ内で初ライブをした時のもの。出演はスリーズブーケと DOLLCHESTRA でした。*3

「一年生は特にドキドキだよね」を見て、「そっか。上級生は去年 1 年間の経験があるけど、新入生はステージに立つの初めてだものね」と自然と思えたんです。なんだか嬉しくなりました。

壁を越えて

ここでちょっと他シリーズに目を向けてみましょう。

μ’s の物語は、スクールアイドルのお話でした。そう、「お話」でした。

穂乃果ちゃんたちが廃校を阻止しようとしたり、大会に向けて頑張ったりしていたのは、結局のところ「向こう側」の出来事です。「こちら側」にいる私たちには、彼女らを直接応援することができません。

ライブに行けばステージ上に穂乃果を見たかもしれませんけれど、それは新田さんを通してであって、本人がそこにいるわけではありませんよね。*4

悲しいかな、物語は「向こう側」だけで完結してしまっているのです。その中の人物や出来事には私たちが直接関わることはできません。これは Aqours や Liella! も同様。

そこを行くと、虹は少し毛色が違っていて、こちらはアイドルだけではなく、アイドルとファンとのお話でした。

スクスタではプレイヤーは、サポーター・あなたちゃんとして物語の中に入っていきますし、アニガサキでは侑ちゃんという私たちの代表(代理)がアイドルたちを応援しています。

ファンが二次元の物語の中に入っていく構図ですね。

私がアイドルたちと同じ高校に通っていたとしたら、もしかしたらあり得たかもしれない、IF のお話。物語を追うことでアイドルの応援を擬似体験できる、私が「向こう側」へ行けるお話です。

しかしそれも想像の中の「お話」なんですよね。本当の私は高校生ではありませんし、あなたちゃん・侑ちゃんがする形の応援は、私の現実とはかけ離れすぎているのです。

浸って楽しめる一方で、やっぱり、リアル私とは決してリンクしてくれない悲しみがそこにはあります。

さあ、ここで朗報です。蓮ノ空がやってくれました。ここまで述べてきたように、蓮はアイドルが「こちら側」へ来てくれる物語ですよ!

スマートフォン向けアプリ「リンクラ」より(強調のため、加工してあります)

物語がいつのことなのか、リアルな尺で明記してあるのも他とは違う点ですね。2023 年のこの春、金沢の山奥にある学校で、スクールアイドル活動をする女の子たちが「居る」んだなって、わかるようになってます。

だから、私は彼女たちを直に応援することができるんです。想像上でなく。「現実のもの」として。

次元の壁がなくなった……とまでは言い過ぎでしょうか。でも、今までのシリーズではなかった体験です。お話を追うのではなく、リアルタイムで「起こっていく」ことを目の当たりにするのはとても不思議な感覚。次元の境界が曖昧に感じられる程度には作り込まれていて、非常に面白い試みだなと素直に感じました。

期待

冒頭で述べたように、蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブというと、まず「バーチャル」が思い浮かびます。新シリーズということで、他との比較で取り沙汰されるのもその点が話題の中心になっていたんじゃないでしょうか。

でもいざ蓋を開けてみたら、受けた印象は思っていたものと全然違いました。

確かにバーチャルは強力な武器です。タブン、蓮を蓮たらしめる欠かせないモノになると思います。しかし、あくまでも手段にすぎないとも感じました。

手段は目的のために手にするモノであって、自身は目的たりえません。大事なのは何のためにその手段を使うのかでしょう。

公式サイトを覗くと、meta タグに以下のような description が見つかります。*5

バーチャルだけどリアル 少女たちと「いま」を描く青春学園ドラマ、スタート!

「蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ」公式サイト(Link!Like!ラブライブ!)

バーチャルという新しい媒体を使って為したいものとは、まず「リアル」の提供かな。そして「いま」の描写なのでしょうね。

スクールアイドルたちにリアルな質感を与え、彼女たちの物語が現実に即して進んでいくのを私たちに見せてくれる。そのためのバーチャルなのだと思います。

考えてみれば、「バーチャルだけどリアル」とは矛盾した文句のように聞こえます。バーチャルとは仮想現実のことで、仮想とついている以上、それはリアル=現実とは別個のものです。逆説の「だけど」で繋げられていることからもわかりますね。

しかし、そのバーチャルを使うことで、次元の「向こう側」にあったはずのものを、「こちら側」に居ると感じさせてくれるんですよねえ。リアルでないものがリアルさを生じさせるとは、ちょっと奇妙な感じがするかも。

さて、バーチャルの可能性については、十分に理解させていただきました。シリーズも 6 つ目にして、まだまだその懐の深さと奥行きを感じさせるラブライブ!には驚かされるばかりです。

しかし、私がつらつらと述べてきたことは、蓮の物語では枝葉にあたる部分です。それだけでは完成しません。枝ぶり大きく、葉も厚く茂るには、しっかりとした太い幹が必要ですね。

幹である彼女たちのスクールアイドル物語は始まったばかり。この幹がどう太く大きく成長していくのか、これからが楽しみです。

花帆さんたちの「いま」。スクールアイドル活動を「リアル」に応援できることを嬉しく思った 2023 年の春でした。

*1:先日行われたミニアルバムのリリイベでは、同じく梢先輩の紹介の時に、会場全体が似た空気になってたのが興味深かったです。中の人・花宮さん自身にそうさせる雰囲気があるのでしょうね。

*2:すみません、出典は失念してしまいました。どこかの生配信でご本人が弁明なさってたと記憶しているのですが。

*3:添付されたイラストは、お留守番だったみらくらぱーく!の 2 人ですね。かわゆい!!

*4:幻視させる仕掛けやキャストさんたちの力は素晴らしいと思いますが、それはそれとして、です。

*5:いい謳い文句だと思うんですが、実ページ内には記述がないみたいなんですよね。もったいない。

選ぶ(択ぶ)のは本人 <ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2期 第6話「“大好き”の選択を」感想>

偽のフラグと問題のないバレ

A パートはせつ菜が撮影されているところから始まっていました。腰が引け気味の彼女に、かすみんが一言。

かすみ
生徒会長だとわかるところは、後でカットしておきますから

ちょっと思いませんでしたか? あ、フラグだ!って。笑

今回はせつ菜の正体が明かされるお話です。そのことはアバンで示唆されています。それでいて OP 明けがこれですものね。かすみちゃんには前科*1 がありますから、この導入を見せられては、もしかしてと思ってしまうのも無理からぬことでしょう。

でもまあ、これじゃあまりにも見え透いてるかな。本当にフラグだったとしたら、仕掛けは陳腐だという評価になるかもしれませんね。事実、この台詞は「バレる」方向にははたらかずに終わります。さて、まずこれが一つ目。

違う方向からのバレならありました。ちょっとした不注意から、栞子さんに正体を知られています。しかし、栞子さんもたまたま見つけて気になったから確かめただけで、知り得た情報をどうこうしようとしてません。

彼女は、フェスの準備やら生徒会の手伝いやらをしていますから、せつ菜面でも菜々ちゃん面でも互いをよく知る人物です。身内と言ってしまって差し支えない。正体を明かしたくないという本人の意思も尊重してくれますから、結果として事情を知る味方が一人増えただけなんですよね。これで二つです。

騒ぎが起こりそうな気配は匂っていましたが、結局両方とも不発に終わってましたよね。

わざわざ起こすアクション

隠していた正体が皆にバレて騒動になるというのは、よくある話の作りかもしれません。

このエピソードだって、せつ菜の中身が知られて大騒ぎになり、なんやかんやあって公表に至る、などという流れも考えられます。それでもタブン、事態は似たような収まり方をしていたと思います。

しかし、実際のエピソードはそうなってない。そこに物語のメッセージが込められているんじゃないかなあ。と、私は愚考するんです。

皆に知ってほしいと願って自ら発信するのと、状況に迫られて明かさざるを得なくなったのとでは、その行為の示す意味は大きく変わってくるでしょう。たとえ、最終的に彼女が全く同じ気持ちでいたとしてもです。

だから、せつ菜が自ら動いていく、その話の組み立て方そのものにも意味があると思いたいのです。

これは私見なのですが、アニガサキは個人の意思に重きを置いてるように思います。あなた「は」どうしたいのか。私「は」どうするのか。*2 そういったことに話の重きを置いているように。

周りの状況の変化や、そのとき個人に要求されるものなども、もちろん関わっているのですけれど、それらは基本付け合せ。概して「個人としての意思決定」がメインディッシュとして提供されているように感じるんです。

今回のせつ菜の件ですが、もし外圧(=バレ)がスタートだったなら、「コトの顛末」が話の主軸となっていくでしょう。ドタバタ劇の色がずっと濃く出て、彼女の意思決定は軽く扱われていたんじゃないかと思います。彼女がどう考えどう結論を出そうとも、正体を明かすことに関しては結果が動かないのですから。

ところが、せつ菜は必要に迫られてないのにアクションを起こしています。こちらの場合、動機に注目が集まるんじゃないでしょうか。わざわざ行動するに至った考え。そうしたいと思った心の動き。それらを際立たせる話の作り方だなと思うのです。

エピソードを俯瞰すると

なんやかんやあってせつ菜は考え方を変え、隠すことを止めて正体を明かすことにしたようです。

自分の立場を踏まえてだとか、周りのみんなのためにだとか、そんな理由からではありません。自分がそうしたいと思ったからが主な理由ですから、この決断はエゴですよね。

ファンにはいろんな人がいます。たとえば、覆面で活動することに神秘性を感じていて、せつ菜のそこが好きだと言う人もいるかもしれません。そういった人たちにとって、覆面を脱ぐ行為は裏切り以外の何物でもないでしょう。

また、菜々ちゃん側にも似たようなことが言えます。

友人たちに隠れてアイドルやっているのは……そうですね、それ自体が裏切りではありますが、まあ始めてしまったものは仕方ないとしましょう。それで正直に打ち明けるのが誠実かというと、必ずしもそうとも言い切れないところが難しい。

生徒会長としてならあと数ヶ月、スクールアイドルで見ても卒業まで 1 年と何ヶ月かです。期限がはっきり定まっているのですよね。当初はいいと思ってやってたことじゃないですか。この残り短い期間なら、(罪を背負いながら)そのまま隠し通すのも一つの誠意の形じゃないかと思うんです。

いずれにしても、問題になる最たる理由は、「現時点では二重生活がちゃんと送れている」事実なんですよね。そのままでいいのに、なぜ彼女はトラブルの種にもなりそうな事実を公にしたのか。それが問われることになります。

何も、せつ菜が周りのことを全く考えずにこの決断を下したと言いたいのではありません。「期待に応えるのが好きだ」という彼女のこと、むしろ考えていないわけがない。それでいてやはり動いたのなら?

彼女にはそれだけの理由があるということ。皆にわざわざ伝えることが、彼女にとって、とてもとても重い意味を持つのでしょう。

……というふうに、彼女の決定の重要性が、より強調される話運びに感じるんです。

主体性

だから、ここに描かれているのは主体性だと、やはり私は思いたい。

立場だとか、周りに対してだとか、配慮だって必要です。でもそのために本人不在の行動ばかりを選んでいては、誰のための人生かわからなくなってしまいます。主役は自分です。自らが真にやりたいと思ったことなら、押してでもやらなくっちゃ。とね。

もちろん、やりっぱなしではダメでしょう。周りには自分の気持ちや意図を伝え、必要なら理解してもらうように努めることも大事です。

それが件の発表ですよね。

フェス・文化祭のオープニングで流していた、彼女のメッセージがとても好きです。

最初に「生徒会長の中川菜々です」と挨拶をした後には、「私」が主語の文が最後までずうっと続いていくんですよ。非常に良いなって。

以前の彼女なら、こういった場では、会長の立場でモノを述べていたと思うんです。個は消して、公人としての挨拶をしていたと想像します。それが一転、つらつらと語るのは(役職を通してではあっても)彼女が一個人として体験し感じたことばかりなんです。

話す中身もさることながら、その主体的な語り口からも伝わってくるものがありますよね。

さて、そんな表明を聞いて皆はどう感じたかですが。同好会メンバーはもちろんせつ菜の決定を支持していました。ファンたちもこの発表に納得していたようです。

これには、彼女のアイドルとしての在り方や、生徒代表としての姿勢が、今回の「選択」にしっかり繋がっているのが大きいと思います。

「本気系」の名が示す通り、せつ菜にごまかしや気まぐれは一切*3 ありません。真面目で何事にも正面から当たる娘だというのは皆が知っています。その彼女が、他の誰でもない、自分のコトバで伝えることです。真剣に考え抜いた末に出てきた「選択」であることは明白です。

だったら、心に届かないわけがないよね。と、そんなことを思った第 6 話でした。

以下は蛇足です

今回の感想ブログについて補足というか、謝罪というか。少しばかり付け加えさせてください。

実は 6 話を視聴したのは何ヶ月も前の話になります。見終えた時にはあと二つほど語りたいことがありました。

一つはせつ菜の変化そのものです。優木せつ菜と中川菜々、二つの学生生活を送っていた彼女が、それぞれを別個のものとしてではなく、重ね合わせて考えるようになった経緯とその意味するところ。

もう一つは母親周りの話です。もっとも身近にいるうちの一人で、多分もっとも「期待に応えたい」人のこと。菜々ちゃんが自分の「ワガママ」をなぜ伝えるのか、どう伝えるのか。

以上の 2 点で、今回形にした主体性の話をサンドイッチしようと思ってたんです。けれどちょっと上手く書けそうになくて、なんとなくそのまま棚上げになっていました。

そして寝かせすぎましたね。反省してます。

今回改めて書くにあたって、やはり内容には悩みました。が、この 2023 年 3 月末の今、書きたいこと一つに絞ることにします。

結果、前後をカットすることになったこのエントリーは、感想としての体が整っていると言い難いかもしれません。「選択」の具体的な中身についてはほとんど触られれてないかな。また、締めも甘いままで尻切れトンボになってます。

でも、まとめがうまくいかないからずっと筆が止まってたワケでして……。書き上げるだけまだマシだと開き直ることにしました!

以上のような理由で、いつも以上にフワッとした感想に仕上がった次第です。まとまりのない文章に最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

*1:以前、ファイルを取り違えて、見せちゃいけない映像を流してしまってましたね。(第 1 話)彼女だけの落ち度ではありませんけど。

*2:1 期第 3 話、屋上で侑ちゃんがせつ菜に伝えていたのが正にそれでした。

*3:唯一正体を隠していたことだけ除けばですが。笑

何が飛び出してくるかわからない <ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2期 第5話「開幕!ドリームランド↑↑(*'▽')」感想>

前話 C パートで今回へのヒキが描写されていましたが、そこからしてもうすでに面白いとかズルくないですか??? 机に向かって思案するしずくちゃんを見るだけでヤバそうな予感がひしひしとしていました。タブン私が毒されているからだとは思いますが……。笑

アニメ「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2 期」第 4 話より

朝の一幕から

OP から CM が明けて、本編 A パートはお二人さんちの朝の様子から始まっていました。マンション外観からベランダへ視点が移るのはもう見慣れたカットです。

が、見慣れているからこそ、画面が切り替わった瞬間に歩夢のおべべの違いが目に飛び込んできますよね。あ、パジャマなんだ!って。

アニメ「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2 期」第 5 話より

これだけで休日だとわかるし(お団子のない歩夢も良いものです)、しずくちゃんから相談を受けたところでアバンが切れていたことをふまえれば、侑ちゃんは今日これからデートに出かけるんだろうなとか、なのに歩夢と居るところから描くってことは、この後の騒動が想像できそうだなあとか。他にも、学校のない日でも朝の挨拶は交わすとかホント仲が良くて羨ましいなあとか、わずかな描写しかないのに情報量が多くてお気に入りのシーンです。

案の定、そこから歩夢の尾行が始まるわけですけれども――。

せつ菜に見つかったリアクションに始まって、慌てて言い訳を探すさま、そのまま彼女を味方につけようとするところがなんとも歩夢らしいなと思います。逆説的かもしれませんけど、歩夢の性格の良さが見えるようです。いつも品行方正だからこうして何かを誤魔化すことに慣れていないのだろうし、味方を得て勢いづくあたり、自分に対しても後ろめたさを解消する口実が欲しかったのだろうなあ。楽しい逸話ですね。

自由に

さて、今回のお話はしずくちゃんが起点でしたね。新しいユニットとその演出案に悩む彼女は頼りになる先輩に相談を持ちかけてました。電車の中では、

しずく
やっぱり! 侑先輩ならわかってくれると思ってました

賛同を得られて、瞬間口調が柔らかくなるのが可愛らしい。ギリギリ「崩れてる」とは言えない程度なのが好きです。

勢いに乗ってしずくちゃんは歩夢さんの野獣役も提案していましたが、

アニメ「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2 期」第 5 話より
ああ。わかる、わかる……

侑ちゃん、あなた歩夢の何を想像しました!?

しずくちゃんにしても配役の意外性で取り上げてみただけ、ですよね……? 歩夢が持つ特定の一人に対してだけ向けられる激しさ、普段は一切ナリを潜めている激しさを、もし嗅ぎとっていたのだとしたら、桜坂監督も非常に良い嗅覚をしていらっしゃいますね?笑

ともあれ本題に入りましょう。エピソードでは後半になりますが、嵐珠と侑ちゃんのやりとりを聞いて、しずくちゃんは自分こそが責められるべき人間だと思ったようです。「自分のやりたいことを周りに重ねて」と彼女は言いますが、実際のところどうなんでしょう。

しずくちゃんは遊園地で歩夢やせつ菜を観察していましたよね。これは周りの人たちに対して日常的に行っている習慣だと思われます。主には芝居の勉強のためでしょうが、単純に、自分の持っていないものを備える人たちが魅力的に映るからなのもあるんじゃないかな。

で、お話やお芝居が好きで想像力も豊かなこの少女が、ただの観察で終わらせるわけがありません。カップリングや各種シチュエーションなど、妄想はとどまるところを知らないでしょうね。そして実際にやれたら面白そうだからと、妄想が現実になろうとしているのが今回のお話でした。

しずくちゃんはもうここで一つ壁を越えてるんですよね。以前だったら妄想までで留めていたところを、なんとか形にしようとはたらきかけています。

何も生み出さない自己満足だとは本人がそう思っているだけ。歩夢とせつ菜にはちゃんと新しい可能性を提供できてますよ。せつ菜が「やってみないとわからない」と乗り気だったのは、その可能性がどう結実するかを見てみたかったからでしょう。何かが生まれる予感が欠片もなければそんなセリフは出てきません。

ですがしずくちゃんの心情としては違うようです。彼女にとって今回の提案は妄想の延長でしかなかったのかな。なまじ想像力が豊かなために、実現するとしてもその様子が想像できてしまうんでしょうね。妄想がただ実体を伴ったくらいの印象しかないようなそんな様子です。妄想をちょっと豪華にしたかった、くらいの望み。

すぐ後に判明しますが、ここに勘違いがあったように思います。まず、役者は自分とは別の人間で、そうそう予想した通りには動かないということ。今回はほとんどが自由なアドリブでしたからなおさらです。

自由であることは、即、役や劇を損なうことを意味しません。予想できないからワクワクするし、ときには期待以上のものが飛び出してきたりもします。(この辺りが A・ZU・NA の魅力なのかなって思います)型にはまるばかりが演出ではないと 2 人は教えてくれます。

そしてもう一つ。しずくちゃんは自分自身を考慮に入れていませんでした。ある意味当たり前の話で、もとが人間観察から妄想が始まっているため、観察対象から外れる自分はその世界の中に入ってこないのでしょう。

アニメ「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2 期」第 5 話より

妄想で済ませるならそれでいいのかもしれません。自分勝手にお話を紡げる世界では、意志を持った自分がそこに加わっても面白さが増すとは限りませんから。物語に入り込むのを楽しいと感じる人もいるでしょうけど、観客のままでいたってかまいません。

でも実際に演じるとなると、すごくもったいない話に思います。演技もいけるしずくちゃん本人がそこに入り込めたらオーマイティにはたらけるのですから。

役の幅は無限大で、相手方の反応を見ながら演技ができる。何が飛び出してくるかわからない世界で自分も一緒になってお話を作り上げていける。妄想では決して得られない楽しみじゃないでしょうか。2 人の演技を見てウズウズしているしずくちゃんはかわいらしかったです。

結果しずくちゃんが飛び入りで加わって、即興で仕上げたお芝居は素敵なものに仕上がっていましたよね。

野獣の姿という呪い

その劇中劇の中身も見ていきましょう。桜坂しずく脚本プラス 3 人のアドリブは非常に興味をそそる内容でした。

特にせつ菜。せつ菜の役どころは野獣で、王子が呪いをかけられ変身した姿です。

一人の中に二つの属性がある役を他でもないせつ菜が演じてるのが面白いんです。最初は、菜々ちゃんとせつ菜の二面性を示しているだけかと思ったのですが、劇の内容を見るにもう少し深い意味があるように感じました。捉え方はどう取ってもいいんでしょうけれど、1 期のせつ菜に重ね合わせて見るのが一つの形かなと。

野獣(せつ菜)
フッ、どうせ私のことが怖いのでしょう。こんな恐ろしい姿なのですから

「どうせ」という自棄の言葉が悲しく響くところから劇は始まってました。野獣は自らの姿を嫌悪します。獣である自分は人に危害を加える存在でしかない。その気が全く無くても可能性があるというだけで怖がられる。そうやって疎外感を覚えれば、元凶である自分の恐ろしい姿を否定したくなるのは自然なことなのかもしれません。

どうあっても他人を傷つけてしまうからと自ら身を引くさまは、1 期第 3 話のせつ菜を思い起こさせます。やりたい事を求めた結果他人と衝突してしまい、自分の大好きを表現しようとしたことがそもそもの間違いだったと結論付けていた菜々=せつ菜。当時の彼女は、王子=野獣と同じように、「せつ菜」さえ否定すればコトが丸く収まると思いたかったようですが――。

思うんです。もしあの時せつ菜が身を引いたままだったとして、その場合最終的に「せつ菜」って無かったことにできたのだろうかと。

劇中で「せつ菜」に対応するのは「野獣の姿」だと思うのですが、これはかけられた「呪い」でしたよね。元の王子の姿に戻りたくとも、それができないから彼は苦悩していたのでした。菜々=せつ菜にとっての「せつ菜」も同じで、消せなかったんじゃないかと想像するんです。

「せつ菜」とは「私の大好き」の象徴でした。

人は意識的に何かを選んで好きになるのではありません。気がついたらもう好きになってしまっているものです。好きって、空から降ってくるようなもの、避けようのないもの。向こうから勝手にやってきて心を占め、こちらの行動を縛るという意味では、確かに呪いのようだとも言えます。

菜々=せつ菜は「せつ菜」を無いものとし、ただの菜々に戻ろうとしていました。しかしここで捨てようと思って捨てられるのは、自分の大好きを解き放つ手段としての「せつ菜」だけでしょう。「せつ菜」をもう表舞台に出さないと決めたのは大した決断でしたけれども、それで彼女の中の大好きがなくなったわけではありません。身の振り方を決めたあと、後生大事に衣装をしまい込んでいたのを見てもわかります。

つまり捨てられたのはガワの部分だけで、肝心の「せつ菜」の中身は依然として彼女と共にあったということ。ひとたび好きを見つけてしまった、いえ、好きに "見つかってしまった" 菜々=せつ菜は、もうただの菜々には戻れないんですよね。

劇中では、悪しき野獣は心を改められなかった人間の成れの果てだと言われていました。野獣の姿を受け入れられなかった人たちが、やがてその力を無差別に振るう*1 ようになってしまう。それはもっとも嫌悪していた行為のはずなのに、悲しいことです。もし、せつ菜が「せつ菜」であることを認められないままだったら、彼女はどうなってしまっていたんでしょう。

幸いにも歩夢演じる少女が野獣の心を動かします。せつ菜にも侑ちゃんが言ってくれました。そのままのあなたでいいよと。おかげで彼女は自分を受け入れて、「せつ菜」でもできることを見つけていきます。

王子=野獣は悪しき者を倒すためその力を振るいます。人を傷つけるばかりだと思っていた獣の力は、使い方をちょっと変えるだけでいかようにも有効活用できるんですよね。彼は野獣であることを受け入れたから気づけました。せつ菜の大好きだって同じことです。自分本位に好きを叫んでいては、他人の大好きとかち合ってお互いを傷つけ合うだけでしょうが、その事実を受け入れた上でなら。

好きは呪いのようなものだと述べましたけれど、それはごく小さな悪い一面を切り取っただけです。

扱いさえ間違えなければ、自分が浸って楽しいのはもちろん、他人と共有してより大きな喜びを得ることができます。当然ですけど何かを好きでいるとは基本的には喜ばしいことなんですよね。

少女(歩夢)
私たちがここに居るのは、そもそもあなたの魔法がきっかけなんだもの

獣の姿は最初「呪い」と表現されていました。それが最後には「魔法」と呼び改められていたのが私の心に強く響きました。

気になること?

劇ではせつ菜が役とシンクロしすぎていてそっちばかりを考えてしまいますけれど、歩夢にも少し目を向けてみましょうか。彼女の演じるのはとある少女でした。

少女(歩夢)
実は私も傷ついた人を癒してあげたい

アドリブに入った途端、歩夢が「癒やしてあげたい」などと言い出したときには、"つまらない方のヒーラー" を思い浮かべてしまい、いきなり気が抜けそうになりましたが……。いやいや、まさかね。ウインクの超絶ヘタクソなダークエルフがニジガクに通っているとは思いたくありませんよ?*2

冗談はさておき。ここの歩夢で取り上げるべきは「実は私も」の部分でしょうね。野獣がやりたいと言ったことを受け、秘めていたおもいを自分も表に出してもいいのだと少女が知った様子には、せつ菜のステージに感銘を受けていた歩夢の姿が重なって見えます。

やりたいアクションが自分の内にとどまらず、外に影響を与えるモノなのも、歩夢の転機に重なると言えるのかなあ。歩夢があの時言い出したのは可愛いものを今でも身につけていたいではなく、発信する形で表現したい、でしたものね。

野獣(せつ菜)
そうして旅に出た私たちは、悪しき野獣を次々に倒していきます
少女(歩夢)
しかし、少女には気になることがあったのです

そして引っかかるのは少女の言う「気になること」でしょうか。歩夢が何を考えてこのアドリブを放り込んだか、それこそが気になるのですが。笑

スクールアイドルとして今は順調に過ごせていると思われる(野獣は倒せていますからね)ので、それ以外となると侑ちゃん関連しかなさそう? まあ、大好きな幼馴染が頑張ってるのは知ってて、でもそこまでうまくいっていなさそうで、しかもそれをあまり打ち明けてくれないとなれば気がかりではありますよね。

夕暮れの一幕

その気がかりさんはというと、帰る途中に歩夢を観覧車に誘っていましたね。

昼間乗れずにガッカリしていた歩夢にはとても嬉しい誘いだったんじゃないかな。侑ちゃん、休止中なのを知って歩夢が肩を落としていたことにちゃんと気づいてくれてるんですよねえ。私が歩夢だったら絶対に惚れ直していると思います。そのイケメンさはぜひ見習いたいところです。

アニメ「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2 期」第 5 話より

またそれとは別の理由でも、侑ちゃんが歩夢を誘ったのはなんだかわかるように思います。

皆んなと目一杯遊んで、特に最後には素敵なものも見せてもらって、後は家路につくばかり。家に着けばもう「いつも」に戻ってしまうけれど、楽しかったこの一日を簡単に終わらせてしまうのはもったいない気がする。もちょっとだけでいいから続いていてほしいと願う時に、付き合ってくれる幼なじみはありがたい存在です。

結果的には、ハレとケの間のこの緩衝地帯のような時間は、気持ちを整理するのにもちょうど良かったのかもしれませんね。日常に帰ってしまったら「いつも」の忙しさに追われて、おもいが薄らいでしまいかねませんから。

QU4RTZ と Diver Diva が出している結果。加えて今日は A・ZU・NA の 3 人の新しい可能性を目の当たりにして、発破をかけられたように感じてることでしょう。

苦しんでいるらしき現状ですが、自分でも何かカタチにしたいと思う気持ちを、今一度確かなものとしたいですよね。気心知れた相手とゆっくり過ごせる空間はその一助となったのではないかと想像します。

アニメ「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2 期」第 5 話より

そのまま ED へと移っていくのを見て、とても静かなエピソードの締め方がなんだか心地よいなと感じた第 5 話でした。

*1:実際そんなふうには説明なされてませんから、私の勝手な解釈であることを記しておきます。念のため。

*2:スミマセン、これを書いているタイミングでたまたま見ていたものでして。